昔話(2)
最近、南野陽子さんの『話しかけたかった』や浅香唯さんの『セシル』を聴き、高校生だった頃のことが、とても懐かしく思い出されたので、YouTubeで南野さんや浅香さんの動画を探していました。いろいろと探してみると、1980年代終わり頃に活躍されていたアイドルや女性シンガーの多くの動画が検索結果の中に出てきたのですが、その中に岡田有希子さんの動画もありました。
私は高校生時代、岡田有希子さんのファンでしたというと、多分、本物の岡田有希子さんファンの方々に対して失礼になってしまうと思います。特別にレコードを集めたり、ポスターを部屋の壁に貼ったりしていたわけではないので、根っからのファンだったということはできないだろうと思います。それでも自分の中では、ファン的な感情は持っていたのだろうと思います。と言いますのは、私が確か高校2年生だったときに、中学時代に仲が良かった友人と、岡田有希子さんのコンサートに行くことを計画していたからです。実際に、友人がチケットを手配してくれていたのではなかったかと思うのですが、私自身、何万人もの人が、ホールやアリーナといった密室の中で熱狂している状況の中に身を置くことが、どうにも生理的に苦手で、なおかつ当時は、高校に通い続けることに困難を感じていたので、いろいろと悩んでいた時だったと思います。なので、コンサートのような人がたくさんいるような場に自分がいることを、想像することができませんでした。結局、間近になってコンサートに行くことをキャンセルしてしまったのですが、その中学時代の友人はものすごく怒っていたと思います。でも、自分自身そんな状況だったので、ちょっと無理でした。クラッシックのコンサートには何度か出かけた記憶はあるのですが、アイドルやシンガーのコンサートには、これまで一度も行ったことはありません。多分これからもないだろうと思います。
岡田有希子さんが亡くなられた時、私は高校をやめるかやめないか、とても悩んでいたのではなかったかと思いますが、どうだったでしょうか。高校3年の新学期がそろそろ始まるかどうかという時だったと思うので、もうすでに自分の中では結論をくだしていたのかもしれません。でも、当時自分が得意にしていた化学の問題集をやりながら、『笑っていいとも!』のエンディングを観ていた時に流れてきた、岡田有希子さんが亡くなられたという字幕を見たときのことは、いまでもはっきりと覚えています。でも、そのあとの数日間のことは全く記憶にありません。一緒にコンサートに行くことを約束していた友人に電話をかけて謝った記憶があるのですが、本当のところどうだったでしょうか。以後、岡田有希子さんのことは恐らく考えないようにしてきたのではないかと思います。でも、それが最近になって、YouTubeで岡田有希子さんの動画を目にしたのでした。
これまで岡田有希子さんのことを思い出すこともほとんどなかったのですが、自分が高校生だったときのことを懐かしく思い出していたこともあり、35年ぶりに岡田有希子さんが歌っている姿を目にし、当時好きだった歌を耳にしました。あの時からすでに35年近く時が流れてしまっていたことに、改めて気付かされます。戻りたくても、もうあの時には戻れないのだなあとしみじみと思います。
介護福祉士やケアマネとして、あるいは、高齢者介護の進化遺伝学を研究するものとして、高齢者の介護に関わりながら、後悔しない介護とはどういうものなのかということを考えてきました。まだ自分の中では結論は見つかっていないのですが、35年ぶりに岡田有希子さんが歌っている動画を目にして、35年間岡田さんのことを思い出さないようにしてきた自分は、多分間違っていたのだろうなあと思いました。岡田有希子さんは実際に存在していたわけですから、それを無理に忘れ去ろうとすることはなかったのだろうと思います。このことは、多分後悔のない高齢者介護にも通じるものがあると思うのですが、これからも考え続けていかなければならないと思っています。