計算力
最近、雨瀬シオリさんの『松かげに憩う』を読んだり、松陰神社にお参りしたりと、吉田松陰に触れる機会がたびたびありました。幼少の頃に、吉田松陰が、叔父の玉木文之進から、猛烈なスパルタ教育を受けてきたことは、雨瀬さんの著書の中でも描かれているのですが、その描写を見ていて、私自身の幼少の頃を思い出さずにはいられませんでした。
私には兄と妹がいるのですが、私を含めて3人とも、父親から算数のスパルタ教育を受けてきました。小学校の低学年の頃だったのですが、会社が休みになる週末になると、兄弟3人とも父親の前に座らされ、算数の、主に計算問題を出されるのです。学校で習っている範囲よりもかなり進んだところを出題されるのですが、当然、初めて習うところですから、できるわけがありませんでした。解らないなりに、自分なりに考えて解いていくわけですが、あっているはずもありません。一番最初は、「この問題は、こうやって解くんだ」といって、結構優しく解き方を教えてくれていたように思います。でも、同じような問題を、2回目、3回目と解いていくうちに、間違おうものなら、ビンタやゲンコツが容赦なく飛んできました。小学校の低学年ですから、もう毎週のように、泣きながら勉強したものです。兄ももちろんですが、女の子である妹でさえも同じように叩かれながら勉強していました。悪いことに、兄は小学生の時から剣道をやっており、竹刀が周りに転がっていたこともあったため、竹刀片手に勉強を教えてもらったこともありました。
私の父親は戦前生まれですので、体罰をはじめとするスパルタ的な教育を身近なものとして受けてきたのだろうと思います。実際に、父親の父親である私の祖父から、私たちと同じように、殴られながら勉強を教えてもらってきたそうです。私自身、現在子供もおりませんし、たとえ子供がいたとしても、同じような教育をしようとは多分思わないだろうとは思いますが(なぜならば、痛いことは自分が一番よくわかっているからです)、まあ、三代家の伝統だったのだろうと思います。
このように、父親から散々算数や数学を叩き込まれてきたので、小学生や中学生の時には、数学、特に計算だけは誰にも負けない自信がありました。計算間違いなんて絶対にしない自信がありました。高校時代に、すっかり落ちこぼれてしまったことについては、これまでに何度も書いてきましたが、それでもなんとか大学に合格できたのも、小学生や中学生の時の計算力があったからだと思っています。しかし、歳をとるにつれて、その計算力もだんだんと衰えてきました。信じられないような計算ミスをして、愕然とすることがたびたびあります。幼い頃に持っていた、自分の計算力に対する自信を考えると、とても悲しくなるのですが、それでも毎日数学の問題を解きながら、数学力、計算力を落とさないように、現在でも日々努力を重ねています。
私が、大学に入学以来、大学院生や研究員として研究し、勉強を続けてこれたのも、父親から小学校の低学年の頃に、殴られ、叩かれながら叩き込まれてきた数学力、計算力が基にあったからだと思っています。このような、私の礎となるものを築いてくれた父親には感謝以外ありません。吉田松陰が受けてきた幼少期のスパルタ教育とは比べられるはずもないのですが、雨瀬シオリさんの『松かげに憩う』を読みながら、教育とはなんなのかということを、改めて考えさせられました。 三代