何かをしなければならない(2)
P. B. メダワーは免疫学の研究で1960年にノーベル医学生理学賞を受賞した研究者ですが、そのメダワーが1946年に発表した論文のなかの最後の段落の中で、次のように述べていました。
“教訓は、高齢者について何かをするという問題は、ゆっくりとではあるが、徐々に緊急を要する問題となっていることである。70歳で苦しみなく人々を殺すことが、結局は真の親切であると言われることがないようにするためにも、何かをしなければならない”
一見しただけでは真意をつかむことが難しく、思慮の足りない人には容易に誤解されかねない、とても過激な見解のように見えますが、あくまでもメダワーがこの文章の中で訴えていることは、将来到来することが予期されている高齢化社会の悲惨さを認識したうえで、上述のようなことが現実として起こらないようにするために、何かをはじめなければならない、という極めて理性的で穏健的なことなのです。むしろ何の対策も講じようとしないことの方がはるかに過激なことなのだということに気付かされると思います。
エジンバラで読んだ時には、それほど心には残らなかったように思います。しかし、日本に帰国して改めてメダワーの論文を読み返していたこの時、P. B. メダワーの、表面的には過激にもみえますが、実際には極めて理性的で穏健的な言葉にショックを受けたことも確かではありますが、それ以上に私にとってショックだったことは、これらの文章が収められている論文の古さでした。現在の日本が今まさに直面しているような集団の高齢化という深刻な問題を、イギリスの研究者たちは、第二次世界大戦が終結したかどうかという今からもう何十年も前に、すでに予見していたのであり、そんな悲惨な社会的状況にならないようにするために、なんらかの行動を起こさなければならないと注意を喚起していたのです。その事実に、まず圧倒されてしまいました。