何かをしなければならない(3)
では、現在少子高齢化という問題が深刻になりつつある日本では、近い将来にこのような社会的な状況が訪れることが予期されてこなかったのでしょうか? イギリスの研究者達のように、太平洋戦争が終結した当時は、日本は敗戦したばかりの混乱した状況だったでしょうから、おそらく無理だっただろうとは思いますが、少なくとも私が高校受験をした今から35年ほど前には、一般の間でも広く認識されていただろうと思います。といいますのは、私が高校を受験した1980年代中頃、受験したある高校の社会の入試問題で、実際に「高齢化社会」と解答させる問題が出題されていたためです(私はその問題に答えられず、答案に「縮小再生産」と記述した記憶があります)。結局、イギリスをはじめとする諸外国では、今から何十年も前に高齢化社会の到来を予期しており、その社会的な状況の悲惨さについて問題提起され、そのようなことにならないように、実際になんらかの行動を起こすように呼びかけられていたわけです。そして日本においても、何十年も前の高校入試の問題にさえ出題されるほどですから、当然その到来が予見されていたはずです。それにもかかわらず、今の日本のこの状況はいったいなんなのか? さらに、 “DINKs(ダブルインカム・ノーキッズ)”という言葉も思い出されました。この言葉は、私が20歳くらいだった1990年頃盛んに使われていた、夫婦共働きで子どもを意図的に持たないという当時の若者世代のライフ・スタイルを象徴する言葉なのですが、その背後では少子高齢化が着々と進行していたにもかかわらず、それらの問題はほとんど取り上げられることもなく、日本ではDINKsが“トレンディー”だともてはやされていたことも思い出されました。
P. B. メダワーの論文を改めて読み返してみて、私は一人ぶちのめされたような、暗く落ち込んでしまうような気分になっていたのでした。何よりも残念だったことは、大学に入学して以来何年間も私は生物集団のことについて勉強してきたつもりでいましたが、研究職を見つけられないまま2008年7月に台湾から帰国し、実家で、これまで行ってきた研究の結果をまとめたり、振り返ったりしていたこの当時まで、現在の日本で特に深刻な問題となりつつあった少子高齢化の問題に目を向けたこともなかったわけです。日本とイギリスの科学の裾野の広さと伝統の違いを改めて身にしみて感ずるとともに、生物の集団を研究してきた一人の日本人として、自分の不勉強を改めて感じました。実家で両親と暮らしていた祖母が認知症になり、両親によって介護され、さらには介護付き有料老人ホームに入所していたこともあり、P. B. メダワーの、先に引用した警鐘文が大きく自分の身に迫ってくるような気がしました。日本で状況がさらに悪化しつつある少子高齢化という日本人集団の社会的問題に対して、P. B. メダワーが言うように、私も“何かをしなければならない”と考えるようになったのでした。