認知症の祖母の介護(2)
筑波大学博士課程での大学院生時代に、私は奨学金をいただきながら研究させていただいてきたことについては、すでに述べてきました。現在では返還しなくても良いタイプの奨学金も増えてきているようですが、私の場合は返還していかなければならないタイプの奨学金だったため、博士課程5年間でトータルすると、結局数百万円を返済していかなければなりませんでした。なかなか次の研究職を見つけられないまま、エジンバラ大学や台湾での研究員時代にこしらえた、わずかばかりのこれまでの貯蓄を食いつぶしながら、無職の状態のまま実家で論文をまとめたり、高齢化社会について勉強したりしてきたわけですが、私の銀行口座からは奨学金の返済のために、一定の額が毎月情け容赦なく引き落とされていきました。日々減っていく残高の額を目にするたびに心細い思いになり、ため息をつきたくなることもあったと思います。自分としてもタイム・リミットをあらかじめ設定し、残高があるレベルの額まで減ってしまったら、何らかのアルバイトをして収入を得なければとは考えていたのですが、認知症となった祖母の介護を手伝っていましたし、“何かをしなければならない”という高齢化社会の到来に対するP. B. メダワーの警鐘文に大きな影響を受けていたこともあり、当時介護職員の不足が盛んに叫ばれていた高齢者介護施設で、介護職としてアルバイトしようと考えたことは、今から振り返って見ると、とても自然な流れだったように思います。高齢者介護施設で実際に介護職としてアルバイトし、高齢者を介護するということの現実を介護の現場で実際に体験しながら、人間集団の高齢化という問題をこれまで勉強してきた進化遺伝学を背景にしながら考察していこうと考えたのでした。進化遺伝学を学んできて介護職をしている人間は、世の中にはそれほどいないのではないか、他の人が持つことができない自分なりの視点から、少子高齢化がさらに深刻となるであろう子どもたちの未来に貢献することができるのではないか、このようなことを考えて、高齢者介護の世界に入り込むことになったのでした。