ヘルパー2級講座(3)祖父の思い出
中学生の時や高校に入りたての頃には、医者になりたいと思って勉強してきたことについては、これまでたびたび述べてきました。しかしながら、親元を離れて、高校では寮生活をしたことから、自分を見失って、すっかり落ちこぼれてしまい、高校の1年の途中で、すでに医者になる夢を諦めざるをえませんでした。英語をはじめ、数学の成績も悲惨なものでしたし、古文、漢文では赤点の常連でもあったからです。大学では、医学部への進学は諦め、以後は農学部をはじめとする理系学部の受験に向けて勉強したのでした。
私には、幼い私のことをとても可愛がってくれた、大好きだった祖父がいました。私が小学校の高学年の時には、すでに寝たきりとなってしまい、呼びかけに対しても、あまり反応がない状態だったと記憶しています。私は医者になって、そのような状態になってしまった大好きだった祖父を手術して回復させたいと思っていました。私が医者になりたかったのは、そのためです。しかし、祖父は私が中学1年生の時に他界してしまいました。なので、高校に入学早々落ちこぼれてしまったこともあり、私が大学入試で医学部を目指す動機は、すでになかったのだろうと思います。
ヘルパー2級課程において、都心にある教室で実技を学んでいく中で、利用者が寝たままの状態で、利用者が着ている浴衣の着替えを行うための手順を学んだことがあります。受講生は、お互いに寝たきりの利用者のモデルをするために、それぞれ浴衣を持ってくることになっていました。当然私も、実家にあった浴衣を持って行ったのですが、母親から渡されたその浴衣は、私の祖父が寝たきりのまま入院していた時に、実際に身に付けていたものでした。病院で洗濯しても、他の人の洗い物と混ざらないように、襟元かどこかに祖父の名前が書かれていました。ヘルパー2級の実習の時には、他の実習生のために、祖父の浴衣を着て、寝たきりの利用者役としてベッドに横になっていたわけですが、その時私は、医者になどならなくても、祖父のために私ができたことはいっぱいあったのだなあと、しみじみと感じていました。祖父は何年も寝たきりの状態でしたから、たぶん、病気から完全に回復したいなんて微塵も感じていなかっただろうと思います。でも、子供や孫たちには、周りにいてもらいたかったんだろうなあと、今更ですが、ベッドで浴衣を着て横になっていた時に、そのように感じました。祖父の病気を直したいと思って医者を目指していたわけですが、そのほかにもいろいろなルートはあったはずなのに、そこまで思いを巡らせることは、中学生や高校生だった当時の自分にはできませんでした。医者ではない私でも、祖父のためにできることはいっぱいあったのだろうと思います。それを、ヘルパー2級課程と当時言われていた介護職員養成講座で悟ることができました。そういった意味で、中学や高校時代に自分が抱いていた医者になりたいという将来に対する夢は、30年以上の時間はかかってしまいましたが、介護職として高齢者と関わるなかで、少なくともその一部は達成することができたのではないかと思います。