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訪問介護事業所F(1)訪問介護ヘルパー

訪問介護事業所F(1)訪問介護ヘルパー

 

 採用面接時に私に対して“介護の夢”を尋ねてくださった、前述の介護主任とも、お互いに感情的にかなりこじれてしまっていましたし、私自身、社長ダイレクトメールという、いわば最終兵器を持ち出してしまうことになるので、この有料老人ホームを退職する意向は、夜勤シフトについて揉めていた5月中には、すでに固めていたと思います。有料老人ホームで夜勤パートとしての勤務を続けるかたわら、辞めたあとのことを考えて、ほかのパートの介護職を探していました。実際に、地元の訪問介護事業所で、パートの訪問介護ヘルパーとして採用してもらえることになり、6月から週23日程度で訪問介護ヘルパーとして勤務し、さらに7月からは都心にある認知症対応型グループホームで、パート介護職員として勤務していました。有料老人ホームでの勤務は7月いっぱいまで続くことになるので、訪問介護ヘルパーと有料老人ホームとのダブル・ワークは2ヶ月間、認知症対応型グループホームを含めたトリプル・ワークは1ヶ月間続いたことになります。有料老人ホームをいつでも辞められるように、その下準備をしていたわけですが、おかげで、トリプル・ワークをしていた最後の1ヶ月の間は、31日間ほとんど休みがありませんでした。そのときの記憶はほとんどないのですが、しかし無我夢中で仕事をしていたと思います。

 

訪問介護ヘルパー

 2011(平成23)年の5月に雇用契約を結び、訪問介護員として勤務することになりました。有料老人ホームを退職するにあたり、できることならば、高齢者介護に関わるいろいろな業種で実際に介護職として勤務することにより、高齢者介護の現実を自分自身の感覚として体得したいという思いがありました。なので、ほぼ同じ時期に採用していただけた都心にある認知症対応型グループホームでの介護職とともに、いわゆるダブル・ワークの状態で勤務していたこともあり、訪問介護員としては週2日程度でのパートタイム・ジョブになりました。

 

 訪問介護員というのは、私が勤務していた事業所の場合ですが、利用者のご自宅に自転車で訪問し、主に30分もしくは1時間の間に、あらかじめ決められていた介護業務を行うことを任務としていました。その介護業務は大きく分けて2種類に分かれていました。一つは、食事の調理や準備、部屋の掃除やゴミ出しなどの身の回りの支援に関する生活援助であり、もう一つは、排泄や移動、服薬などの、利用者の身体と直接関わる支援を行う身体介護です。もちろん仕事の内容によって大変さは異なってきますが、それでも訪問介護では特に、30分なら30分、1時間なら1時間といった時間的な制約が厳格に存在していたため、いつもテキパキと仕事をこなすことが要求されていました。まだ駆け出しだったこともあるとは思いますが、利用者と触れ合うだけの余裕は精神的にも時間的にもなく、とにかく仕事を時間内に完了することに多くの神経が向けられていたように思います。また、バイクや自動車での移動は認められていなかったので、自転車での移動は、特に真夏の暑い時期や、雨や雪の降る時期などは、特にキツかったように思います。私が暮らしていた地元の市内での業務とは言っても、端から端まで自転車で移動すれば結構な時間がかかってしまうので、移動するだけでも、結構な体力が必要になりました。なので、いずれの仕事においても、あまり余裕はなかったように思います。食事の調理や掃除といった家事に関する支援もあるので、訪問介護ヘルパーとして登録している女性のベテランの方も多いと思いますが、実際に仕事をしてみると、精神的にも肉体的にも、やっぱり大変だろうなあと思うことも多くありました。