訪問介護事業所F(2)在宅での高齢者介護の現実、そのメリット
友人もおらず、また人付き合いも苦手な私は特にそうなのでしょうが、私に限らず多くの人々は、人混みの中にいるだけでも、精神的にも肉体的にも大量のエネルギーが消費されてしまうものでしょうし、やっぱり自宅の自分の部屋にいるときが、一番心が休まるのではないかと思います。人の目を気にすることなく、大きな音を出してオナラをしたり、お風呂上がりに裸でうろついたりすることができる気楽さは、何物にも変えられないなあと、私も個人的に思っていますし、長年の間、自宅で暮らしてきた高齢の方であれば、なおさらそうだろうと思います。高齢となって介護が必要になったとしても、できる限り自宅で暮らしていきたいと願うのは、人間としてとても理解できるように思います。
これまでお話ししてきたように、私の祖母は認知症となり、有料老人ホームに入所していましたが、やっぱり、有料老人ホームでの生活に慣れるまでに、かなりの時間が必要だったと思います。と言いますのは、祖母にしてみれば、認知症になってしまって自分自身の主観的、客観的な立ち位置が不安定になっていた状態で、さらに老人ホームという新たな環境に置かれることになってしまったのでしょうから、とても戸惑うことが多かっただろうということは、容易に想像できるためです。祖母にしてみれば、自分自身がなんだかわからない状態になっているなかで、なんだかわからないうちに、なんだかわからないところに連れてこられて、見たこともない人たちと一緒にご飯を食べたり、夜中に突然、知らない男の人に排泄の世話を受けたりしていたわけですから、戸惑うことが多かったのも当然だと思います。老人ホームに入ったばかりの時には、早く家に帰りたいと心の底から願っていたのではないかと思うのですが、どうだったでしょうか。特に認知症になってしまった高齢者の場合には、住み慣れた住居、お馴染みのご近所や友人、知人、見慣れた景色などといった環境は、精神的な安定のためにも、とても重要なのではないかと思います。そういった意味でも、在宅での介護が果たしている役割はとても大きいと思いますし、その充実が望まれているのも、とても理解することができます。
また、一口に介護施設に入所するといっても、入所するだけで結構な費用がかかってくるわけですし、また比較的コストがかからないと言われているような施設でも、それだけ入所を希望する方々も多いため、空きが出るのを長い時間かけて待たなければならないということもあるわけです。介護職員の不足が叫ばれて久しいですが、介護職員が足りないが故に、施設への利用者の入所が制限されているという現実があることを耳にしたこともあります。これらのことを考えると、住み慣れた自分の家でいつまでも暮らし、もし介護が必要になれば、訪問介護ヘルパーがご自宅にうかがって介護を行うというのは、あくまでも一般論としてですが、とても現実的な、合理的な支援の在り方なのではないかと思います。
介護職員も、24時間いつもベッタリと高齢利用者にくっついているわけではなく、例えば、オムツ交換のような排泄介助であれば、例えば、朝、昼、晩に、それぞれ30分ほどの間ご自宅にお邪魔し、そのほかの時間は、利用者とそのご家族によって思い思いのアクティビティのために使うことができるわけですから、効果的に訪問介護を用いることができれば、高齢利用者とそのご家族も、とても有効に時間を使うことも可能になるのではないかと思います。実際に、私が排泄介助で関わっていた、ほとんど寝たきりだったおじいさんが、ある日、私が訪問した時に、歩いて部屋から出てきたことがあって、びっくりしてしまったことがありました。訪問介護ヘルパーは、必要とされる業務以外は原則として利用者とは関わることができないので、そのことがかえって高齢利用者の残存能力を維持し、発揮する機会にもなっていたのではないかと思います。訪問介護の可能性が感じられるようなエピソードの一つだったと思います。