訪問介護事業所F(4)ヘルパーを退職した理由
認知症対応型グループホームでの介護職とのダブル・ワークの状態で、訪問介護ヘルパーとして勤務してきたわけですが、グループホームでの仕事がとても興味深く、また多くのことを学ばせていただいたこともあり、もう少し専門的に高齢者福祉、特に認知症高齢者の介護について勉強したいと思うようになっていました。そこで、2012(平成24)年4月から、私が住んでいるところから自転車で通えるくらいの比較的近くにある福祉系の大学で、精神保健福祉士という国家資格の養成課程を受講することにしました。この課程は通信教育だったのですが、精神科のクリニックや地域の福祉施設での実習もあり、テキストを読んで勉強するだけでなく、様々な角度から福祉について学習する機会を与えてくれるものだったと思います。
というわけで、グループホームでパート介護職員として勤務し、週2日ほどでしたが訪問介護ヘルパーで利用者のお宅にうかがい、さらに精神保健福祉士という国家資格取得を目指しながら、高齢者福祉について学習していました。しかし元はと言えば、高齢者介護という人間の自然本性にも関わる性質・行動を進化遺伝学的に考えていきたいがために始めたことだったわけですから、当然そのための勉強もしていたので、時間的にもだんだんと苦しくなってきました。地域で高齢者が生活するという理想のもと、実際には多くの困難に満ちているという現実の中で、自分が訪問介護ヘルパーとしてどれだけ貢献できているかを考えたときに、結局、自分は時間内に介護業務を完了することに汲々としており、業務完了のことにしか目を向ける余裕がないという反省もあったので、正直なところ、訪問介護ヘルパーという仕事に、私自身限界を感じていました。なので、いつ辞めようかといった状態であり、実際に事業所の方には何度か辞める旨を伝えてきたのですが、ヘルパーとしてうかがってきた利用者との繋がりを断つに忍びなく、なかなか辞める決心がつかずに、ずるずると仕事を続けていました。
結局、辞めるためのきっかけを探していたようなものだったのだろうとは思いますが、訪問介護事業所の常勤職員による何気ない一言で辞める決心がつきました。その一言とは、“常勤職員のためのヘルパー”という発言でした。確かに、訪問介護という仕事は、訪問介護事業所の常勤職員の方から回してもらう、言葉は悪いかもしれませんが、言ってみれば、“仕事を恵んでもらっている”というのが現実なのだろうと思います。しかしヘルパー2級課程でも、高齢利用者のより良い生活に貢献することがヘルパーの任務であると学んできているわけですし、そこにこそヘルパーとしての誇りがあるのだろうと思います。訪問介護ヘルパーというのは、利用者のためのヘルパーなのであって、別に常勤職員のお助けマンではないと思いました。恐らく私よりも年齢的にかなり若い方だったと思いますが、本人は何気なく発してしまった一言だとは思うものの、この常勤職員の一言に、訪問介護ヘルパーという仕事の本質を突きつけられたような気がして、ヘルパーという仕事に対する印象が一変してしまうことになりました。正直、とてもがっかりしたと思います。
結局、週2日程度でしたが、都心にあった認知症対応型グループホームとのダブル・ワークの状態で、2011(平成23)年6月から2012(平成24)年9月までの1年4ヶ月の間、訪問介護ヘルパーとして勤務してきました。訪問介護ヘルパーでは、在宅での高齢者介護の現実、特にその困難さについて考えさせていただく機会となり、とても貴重な経験を積ませていただきました。訪問介護ヘルパーとして働いていた当時から、もうすでに10年近く経っているので、当時関わらせていただいた利用者の方々も、すでに亡くなられている方も多いのではないかと思いますが、実際にご自宅にうかがって介護させていただいた利用者の皆様方から多くのことを教えていただきました。感謝に堪えません。
都心にあった認知症対応型グループホームとのダブルワークの形で、訪問介護ヘルパーとして勤務してきました。ヘルパーをしていた時から10年近くの時間が経過してしまったので、当時お世話になっていた方々の多くは、すでに亡くなられているのではないかと思います。いろいろな経験をさせていただき、いろいろなことを考えさせていただくことができました。どうもありがとうございました。 三代