認知症対応型グループホームE(1)田舎の祖父母の存在

認知症対応型グループホームE(1)田舎の祖父母の存在

 

 有料老人ホームにしても、訪問介護事業所にしても、上司やまわりの職員とはいろいろな摩擦やトラブルがあり、実際に不快に思うことも多かったのですが、それでも、高齢の利用者の方々からはとてもよくしていただいたこともあり、実際に介護職員として関わった利用者の方々との絆を断つに忍びなく、実際に退職するときには、何度も逡巡することになりました。もう高齢の方々ばかりですから、仕事を辞めてしまえば、その利用者とはもう2度とこの世では会えない可能性が高いわけですから、そのような存在の高齢の利用者を見放すと言いますか、置いてけぼりにしてしまうような気がして、辞めるときには後ろ髪を引かれるような思いに苦しむことになりました。それだからこそ、例えば、施設や介護の現場での上司、施設を運営している企業、もっといってしまえば、高齢者をこのような存在にしてしまっている国や自治体の施策に対して、強い憤りを抱くことになりました。施設を運営している企業や、国や地方自治体の高齢者介護・福祉に関わるお偉方に、「つまらない」、「早く死んでしまいたい」という高齢者たちの声が届いているのか、これからもっと厳しくなっていくと予測されている少子高齢化の波に対して、その対策をいったいどのように考えているのかと、ますます不信感が募りました。これまでに関わってきた高齢の利用者の方々とは、確かに現世では今生の別れになってしまうかもしれません。でもあの世に行ったら必ずまた会いましょう、だからちょっとだけ待っていてください、しっかりと勉強してきますからと考えるようにしました。

 

私はもともと、祖父母と一緒にいることがとても好きでした。夏休みのような長期休暇になれば必ずといっていいほど、母親の実家に行き、休みの間中ずっと過ごしていたものです。別に同じ世代の友人が近くにいたわけでもなく、祖父母と一緒に1ヶ月近く過ごしていたわけですが、とても居心地がいいと言いますか、とても安心することができました。人生の半ばを過ぎた今、その居心地の良さや安心感は一体何だったのかと自分なりに考えてみますと、恐らく以下に述べるようなことだったのだろうと思います。

 

私は3人きょうだいの次男坊(兄と妹)としてこの家族のもとに生まれてきました。父親は大変厳しく、家にいる時にはいつも、何かしら緊張を強いられていたと思います。長男である兄はスポーツ万能であり、体もでかかったので、3歳年下の体力ではとてもかなわず、私は幼い子どもの頃からいじめられて、よく殴られて泣かされていました。また、隣近所には同じ年齢の子どもたちがたくさんいたこともあり、一緒に遊ぶ友達がいつもたくさんいた兄と比べて、友達があまりいなかった自分は一人でいることの方が好きだったと思います。兄たちが外で遊んでいる中に入れてもらおうとしても、年下である自分は、たいてい仲間はずれにされていました。友人のたくさんいる兄と比べ、遊ぶ友達のあまりいなかった自分自身に対して劣等感を感じていました。

 

小学校や中学校生活もたまらなくつまらなくて嫌でした。勉強が嫌だったわけでは決してなかったのですが、学校で集団生活をすること、特に友人関係や教師との関係において、生きづらさを感じていたと思います。みんなからいじめられているという感覚を、自分は必ずしも抱いていたわけではありませんでしたが、みんなから嫌われていたと思いますし、自分もクラスのなかにいることがたまらなく嫌でした。周りは、友人同士で一緒に行動しているクラスメートがほとんどである中で、一人だけで家に帰ったり、一人だけで弁当や給食を食べたりすることが、カッコ悪い、恥ずかしいといったような、人からどう思われるかと人の目を気にするあまり、別に仲など良いわけでは決してなかった周りのクラスメートと、仲のいいふりをして一緒に行動している自分の弱さ、卑屈さが、たまらなく嫌でした。そんな嘘っぽい、見せかけの友情、仲の良さを押し付けようとする教師、学校に対しても、言いようのない反感を絶えず抱いていたと思います。なので、給食時の班わけ、遠足や修学旅行の時のグループ分けなどのような、学校生活の中で行われる強制的な集団行動において、みんなから嫌われているのをわかっていながら、こちらからお願いするかのようにして仲間に入れてもらうことがたまらなく耐えがたかったです。このような、息が詰まりそうな小学校、中学校生活を送ってきたこともあり、長期休暇になって、つまらない学校生活から離れて、母親の実家で祖父母と一緒にいると、私にはとてもくつろげるような安心感と言いますか、居心地の良さがあったと思います。本人から直接聞いたことはないのですが、祖父母は何も言わずに私のことを受け入れてくれていたと思います。まあ私も聖人君子ではないので、人には自慢できないようなことも色々としてきたと思いますが、それでも自分自身のことをそのままで受け入れてくれているという安心感を、少なくとも自分は感じていたのだろうと思います。祖父母が、遊びにきた私のことを、何も言わずに優しく受け入れてくれたおかげで、耐え難くつまらなかった小・中学校時代の自分自身をかろうじて維持することができていたのだろうと思います。なので、苦しかった小・中学校時代に、もし祖父母がいなかったら、自分はどうなっていただろうかと思います。私にとって、祖父母の存在はそれほどまでに大きなものでした。

 

パート介護職員として、有料老人ホームや訪問介護ヘルパー、認知症対応型グループホームで働いているときも、実際のところ、私が小・中学校時代に祖父母のところに遊びに行き、田舎で一緒に過ごしているような感覚で、高齢の利用者の方々と向き合っていたのではないかと思います。介護職員として働いていた当時、私は40歳をとっくに過ぎてしまっていましたが、実際のところその中身は、幼い頃に田舎の祖父母のところに遊びにきていた、孫の立場としての自分とあまり違いはなかったのではないかと思います。介護の現場で働いている時、私は自分の祖父母と一緒にいるときのような居心地の良さや安心感を感じながら働かせてもらっていました。確かに介護の仕事は、世間一般で考えられているように、とても忙しくて大変ではありましたが、でも自分は決して高齢者たちと関わることは嫌ではなく、むしろ大好きでした。なので、介護の仕事に就いたことについて、これまで失敗したと思ったことは一度もありませんし、もちろん後悔などありません。