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認知症対応型グループホームE(3)この国のゆくえ

認知症対応型グループホームE(3)この国のゆくえ

 

認知症を患っていた私の祖母は、98歳で亡くなりました。今から振り返ってみれば、祖母の認知症の兆しは、かなり前の段階から現れていたのではないかと思います。それでも最初のうちは、両親が在宅で介護するつもりで一緒に暮らしていましたが、段々と困難なこともでてきたため、介護付き有料老人ホームに入所することになり、最終的にそこで亡くなりました。この、認知症になってしまった父方の祖母に対して、私は畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。祖母が、なにか特別な仕事をしてきたからとか、特殊な技能を持っていたからというわけでは決してありません。

 

次の研究職をなかなか見出せなかった当時の自分は、それまで、たかだか40年やそこらの間、やっとの思いで生きてきたと思います。前にも述べたように、小学校や中学校では学校生活になじめず、周りからも嫌われていたでしょうし、学校に行くのがたまらなく苦痛でした。結局、高校は最終的に中退してしまうなど、生きづらくて仕方がありませんでした。さらに、大学院生や非常勤の研究員として研究を行っていた世界は、自分が興味を持っている研究を続けるために、こちらが意図していなくとも、周囲と嫌でも競争しなければならないところでした。自分の目から眺めてみると、こんなにも生きづらい障害に満ちた世の中を、祖母は2度の大きな戦争や天変地異などの多くの困難を経験しながらも、90年も100年も生きてきたのです。もし私も同じだけ生きるとするならば、あと50年近くもイバラの道が残されているわけですから、祖母が、90年も100年もこの世に生きてきたという事実に、目が眩んでしまうような、圧倒されるような思いを抱かずにはいられませんでした。

 

介護付き有料老人ホームや認知症対応型グループホームなどで、介護職として働いていた時も、祖母に対して感じていたような畏敬の念を、私は高齢の利用者の方々に対して、いつも感じていました。100歳近かったと思いますが、あるおばあさんのベッドの枕元には、もうセピア色になってしまっていましたが、陸軍の軍服を着た青年将校の写真が置いてありました。女手一つで子どもを育て、戦死した夫の写真とともに何十年も生きてきたのだそうです。なんと偉大な人なのだろうと正直圧倒されるような思いがしました。

 

幼い頃の自分が祖父母に対して抱いていたような、なんだか懐かしいような感情を抱きながらも、それと同時に、私よりも何十年も長く生きてきたという事実が持つ圧倒的な重みを感じながら、介護の現場で働いてきました。介護職として実際に現場で働きながら、私が一番身に染みて感じていたことは、介護保険制度としての介護の限界でした。例えば、それぞれの家庭において、親が認知症であるにしても、障害があるにしても、高齢の親を介護するうえで、やらなければならないことは、介護者が身内の者であろうが、他の人であろうが決まっており、それを身内の者がやらなければ、誰かがそれをやらなければならないことになります。介護保険制度のもとでは、それを例えば、有料老人ホームやグループホームなどの介護職員や訪問介護ヘルパーが有料の仕事として行なうことになるのだろうと思いますが、残念ながら今の制度のもとでは、その必要とされることを行なうことは、はなはだ困難でした。介護というと、おむつ交換のような排泄介助や食事の介助のような身体介護をイメージする人が多いのではないかと思いますが、何も食事の介助や排泄の介助だけをしていればいいというものでは決してないと思います。もちろんこれらも重要な要素ではあるとは思いますが、それだけでは決してないと思います。私の経験から見ても、例えば、一緒に座っておしゃべりをしたり、一緒になって何かを探したりといったことが、利用者にとって、とても大きなサポートになっていたのではないかと思います。“クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)”という言葉も最近ではよく耳にしますが、介護を受けている人たちにも生活があり、その利用者たちの“生活”を考えると、利用者たちに必要とされていることを行なうには、今の制度のもとではどうみても人員的に不可能だと思うのです。私が勤務していた、都心にあった認知症対応型グループホームは、まだよかった方で、いろいろな活動を行うことができた方だったと思いますが、例えば、天気がよければ、利用者の皆さんも、近所の公園まで散歩に出かけてみたり、近所のスーパーまで買い物に行ったり、また外に食事に行ったりしたいだろうと思います。グループホームの利用者の方々と近所のスーパーまで出かけて、焼き芋や鯛焼きを買って一緒に公園のベンチに座って食べたときの嬉しそうな表情を見れば、やっぱりそうだったのだろうと思います。ですから、本来であればそうしなければならないと思うのですが、根本的にそのような“人手がかかる”ことは、現在の制度のもとでは想定されていないのではないかと思いました。今の制度は恐らく、みんなを大広間に集めて、テレビをつけっぱなしにしておけばいいと考えているのではないか、そう感じました。