認知症対応型グループホームE(6)辞めた理由
グループホームでは、いろいろなことを経験させていただき、とても勉強になったと思います。確かに、グループホームで働きはじめた頃は、利用者の方にひっかかれて、毎日のように腕が血だらけになっていましたし、ある時には、利用者のおばあさんから唾を吐きかけられたこともあり、そんな経験はその時まで一度もなかったものですから、一体私はどうなってしまうのだろうと思うようなこともありました。でも、グループホームで働かせていただき、このグループホームで生活されている利用者の方々と関わっていくなかで、そもそも認知症高齢者にとって幸せとは何か、そして、認知症であるとしても幸せに暮らしていくためにはどうしたらいいかを考えさせてもらう機会を与えてくださったと思います。日々介護職として勤務し、利用者の方々とともに料理を作ったり、近所のスーパーまで買い出しに行ったりしながら、利用者の笑顔や笑い声に接する中で、認知症になった高齢者が、幸せに暮らしていけるような社会とはどのような社会なのだろうかと考えるようになりました。それは多分、あらゆる人々にとっても幸せな社会になるのではないだろうかと、漠然としたものではありましたが、思い描くようになりました。認知症者を含む高齢者の福祉や介護を考えることは、より良い社会、住みやすい社会を考えるヒントを与えてくれるのではないか? そんなことを考えながら、都心まで通勤していました。
私が勤務していた、都心にあったグループホームだけでなく、認知症対応型グループホームでは一般に、介護サービスをこちらから一方的に提供するのではなく、認知症になってしまった利用者の方々の残されている能力に依存して、できる限り利用者の方々の自主性や自律性を引き出すようにサポートしているのではないかと思います。私自身、この都心にあったグループホームを含めて、3か所のグループホームで働かせてもらう機会がありましたが、それぞれのホームで特徴があり、利用者にお任せする程度にも、グループホームで違いがありました。利用者にどこまでやってもらうのかという問題は、グループホームを運営している事業所によっても考え方は異なるでしょうし、また、実際に利用者と接しているフロアのリーダーによっても考え方は大きく異なっていたように思います。
これまでに述べたように、私は、他の同世代の人々と比べても、利用者に対する畏敬の念は特に強かったのではないかと思います。例えば、皿を洗ったり、食事の準備をしたりする中で、これらの作業を利用者の方々にお任せすることがなかなかうまくできませんでした。私の方が年下なのに、お皿を洗ってくださいと言うわけにもいかないですし、部屋を掃除してきてくださいと言うのも違和感があるなあと感じていました。でも、グループホームの方針としては、できる限り利用者の方々に行ってもらうことになっていたので、いわば板挟みのような苦しさを、日々の勤務の中で感じていました。