精神保健福祉士(4)精神保健福祉援助実習
精神保健福祉士一般養成課程に在籍していた者は、精神保健福祉援助実習終了時に、実習報告書を提出しなければならないのですが、やはり、このバスに乗り込んだときの、利用者に向けられた他の乗客のイライラの体験がとても強かったので、このときのことについて報告しました。実際には、A4用紙2枚程度の長さの報告書だったのですが、守秘しなければならないこともあるため、その一部分だけを以下に掲げておきたいと思います。
障害者が地域で自立した生活を送るということには、様々な困難が存在することが、この実習を通して改めて感じられた。例えば、グループホームを見学された利用者の方は、実際には歩行にも障害があり、見学には車椅子での移動も含まれていたが、バスによる移動一つとっても、地域での自立した生活がいかに困難に満ちているかを改めて浮き彫りにした。それでも、利用者の希望に対して、最初から否定せずに寄り添いながらも、実現可能な短期的目標をたて、それを実際に行うことによってどのような問題、困難がでてきたかを発見し、それを利用者とともにどのように解決して最終的に利用者の希望を実現していくかという、今回の実習を通して見せていただいた障害者の地域生活支援のあり方は、とかく身体介護や生活介護が中心となり、“地域でともに生きていく生活者”という視点が欠けていると思わざるを得ない現在の認知症高齢者福祉のあり方を考えるうえで、モデルの一つになると私は考えている。認知症高齢者の方々もまた、様々な感情を持って日々暮らしている。そこには様々な希望があり、そして言葉にされない隠された希望がたくさんあると感じていたにもかかわらず、私は介護職としてそれらにほとんど向き合うことができなかった。精神保健福祉援助実習で得た経験・知見を今後に生かしていきたいと思う。
認知症高齢者が幸せに暮らしていくことができる社会とは、どのような社会なのでしょうか? 精神保健福祉士一般養成課程で学び始めた時に抱いていた私自身の課題だったわけですが、当時の私は、地域の住民が一緒になって、認知症高齢者を支えていけるような社会なのではないかと、漠然と考えていたと思います。しかし、この実習の時に体験したように、車椅子で乗り込もうとしていた利用者に対してイライラの矛先を向けていた、あのバスに乗っていたほとんどの乗客たちの反応が社会の一般的な反応だとするならば、私が漠然と抱いていたような、ユートピア的な社会を一気に築きあげることは不可能かもしれません。また、例えば、私が現在住んでいる住宅街は、私たちが子供の頃にでき始めた住宅街でしたが、その住人のほとんどは若夫婦の家族でした。現在では、その多くは高齢者となり、亡くなってしまったか、あるいは老人ホームのような施設に入所された方も多く、当時建てられた住宅も取り壊されて、新築の家々が立ち並ぶようになってきました。その住人の多くは見たこともない方々がほとんどですし、通りがかっても挨拶さえお互いにすることもないので、地域での支え合いとは言っても、私が暮らしている住宅街でさえ、ほとんど不可能に近いのだろうと思います。なので、認知症高齢者が幸せに暮らすことができる社会への第一歩としては、漠然とした不特定の地域社会というものを対象とするのではなく、まずはもっとも身近で具体的な、家族という社会から、小さなスケールで草の根的に行動を起こしてゆくことが現実的なのではないかと考えています。困難は多いですが、それでも、まずはできるところから始めることが大切なのだということを、この精神保健福祉援助実習を通して学ぶことができました。多くの困難が待ち受けているのだろうとは思いますが、この実習時に体験したように、それらの困難を一つ一つクリアーしていくことが重要なのだろうと思います。