ショートステイB(2)辞めた理由
いきなりここで辞めた理由になるのですが、結論から言ってしまうと、私は3か月でこの事業所を辞めることにしました。契約上、従業員は辞める1か月以上前にその旨を事業所の方へ伝えなければならないので、本当のところをいえば、そのずっと前から、多分最初に勤務したときから辞めたかったのだろうと思います。ちょっと軟弱だと思われてしまうかもしれませんが、しかし私の正直な実感としては、よく3か月ももったなあと思っています。この3か月の間、少なくとも私が勤務していた時に、よく利用者の死亡事故が起きることなく、乗り切ることができたなあと心の底から安堵しました。事故が起こらなかったのはラッキー以外の何物でもなかったと思います。この3か月の間、ずっとヒヤヒヤものでした。
と言いますのは、この介護事業所も、基本的に、介護職員の数が少なかったと思います。職員のシフト表を見てみても、これはどうなんだろうと思うのですが、例えば、私が夜勤明けのシフトの時に、早番の職員がいないことが結構ありました。つまり、日勤の職員がやってくるまでの間、一人でフロアを見ながら、利用者の朝食の介助をしなければならないことになります。私が他の介護事業所で夜勤をした時に、早番がいないことはほとんどなかったと思います。日勤がいないことは結構あったと思いますが、早番がいないまま、夜勤明けの状態で、一人で利用者の食事の介助をしたことは、はっきりと言って、他の事業所では経験したことがありませんでした(お泊まりデイサービスでの体験は、利用者の数が少なかったので除きます)。
高齢の利用者の場合、食事の時はとても注意が必要になります。と言いますのは、食べ物を喉に詰まらせて窒息してしまうリスクが高いためです。なので、これまで勤務してきた事業所の場合には、食事時は少なくとも2人以上の職員がいたように記憶しています。2人以上の職員がいれば、もし事故がおこったとしても、他の職員にフロアにいる他の利用者のことを任せておくことができます。たとえ救急車を要請しても、少なくとも1人はフロアに残ることができるので、その人にフロアのことを任せて救急車に同乗することも可能になります。そのようなことも当然想定しておかなければならないので、夜勤明けに1人で食事の介助をしながら、他の利用者のこともケアしなければならない状況は、正直、私にとってはかなり過酷でした。他の職員はどうやってこのような状況を乗り切っていたのか、正直わかりません。しかしこのような状況になってしまうと、正直もう何もすることはできなくなってしまいます。ただひたすら事故が起きないように心の中で祈りながら、次の日勤の職員がやってくるまで耐えていかなければならないのです。
職員の数がある程度いるならば、高齢者を介護するうえで、いろいろな可能性や自由度もでてくるのですが、このように職員がフロアに1人しかいないと、はっきりといってしまえば、もう何もできません。ただひたすら事故が起こらないように祈ることしかできず、介護をするうえでの可能性や自由度は一気に下がってしまうのです。この介護事業所の夜勤専従パートの給与が、当時業界トップレベルの額であったにもかかわらず、なぜインターネットの介護求人サイトに、求人広告が毎度のように出されているのか、理解できたような気がしました。
私がこれまでに勤務してきた介護事業所の中で、最も就業期間が短かったのは、社長メールを出して顰蹙を買ってしまい退職を余儀なくされてしまった一番最初の有料老人ホームでの9か月だったのですが、この事業所を3か月で辞めてしまったことで、自身の就業期間の最短記録を大幅に更新してしまうことになってしまいました。まあでも、なんの事故も起こすことなく切り抜けることができただけでも良しとしなければならなかったのだろうと思います。このショートステイでは、夜勤専従パートとして、2016(平成28)年11月から2017(平成29)年1月までの3か月間勤務したことになります。