小規模多機能型事業所H(7)学習塾の時間講師に
実質的には入浴介助専門の介護職員として勤務していましたが、一応ケアマネとして採用してもらった小規模多機能型居宅介護事業所を退職したのち、最初のうちはケアマネのバイト先をいくつか探していたのですが、なかなか良い条件の仕事がなかったため、またグループホームなどの介護職員としてのアルバイトを探して、その採用面接にも何件かうかがったのですが、思うような仕事にありつくことはできませんでした。ケアマネとして採用された小規模多機能型事業所では、短期間だったとはいえ、例えば、介護施設による利用者の囲い込みと言ってもいいのではないかと思えるような社会的入院のような状況を目の当たりにして、結局ケアマネとして利用者の希望に応えることができない現実や、70歳以上の高齢者に過酷な介護という仕事を担ってもらわなければならないという、介護という労働条件や労働環境が抱えている矛盾のような状況に接して、私自身、介護保険制度の枠組みの中で、高齢者を十分に介護するということは、はっきりと言ってしまえば、かなり困難な状況になってしまっていると思いましたし、実際、思うような仕事もなかなか見つけられなくなってしまっていたので、結局、ケアマネや介護職のアルバイトを探すことを断念することにして、学習塾の時間講師のアルバイトを見つけることにしました。正直、介護保険制度の枠組みの中で、高齢者を十分に介護していくには、これではダメだという諦めがあったと思います。現在、人手が足りないと散々新聞やテレビなどで報道されているにもかかわらず、一部の介護事業所では職員を減らそうとしているという話を、ケアマネの実務研修のときに伺ったこともありました。必ずしも人手が足りないということだけではない、複雑な介護業界の現実があるのだろうと思います。
介護の現場では職員がはなはだ不足していると言われており、私自身実際に介護の現場で働いてきて、十分な介護を行うためには職員が全然足りていないと思いながら仕事をしてきました。職員が足りないにもかかわらず、しかし職員を増やそうという努力もそれほど真剣になされているようにも思えませんでした。介護職の仕事を探していたこのとき、実際に私は採用さえしてもらえなかったわけですから、必ずしも職員が足りないということだけではない要素が関わっていたのではないかと思います。つまり、私が考えているような、例えば、私の介護職歴の中の一番初めの頃の、社会福祉法人が運営していた認知症対応型グループホームのような、利用者の自律性や自主性を重視した介護を行おうとするならば、介護職員は確かに不足しているはずだったのですが、例えば、フロアに高齢者を集めてじっとテレビでも見ていてもらうだけであれば、必ずしも多くの職員は必要ではありません。つまり、介護事業所で提供されるサービスの質を落とせば、必ずしも介護職員は不足していないということにもなるのだろうと思います。しかし何度も言いますが、職員の数が少なければ、サービスの質を落とさざるを得ないわけですから、結局は、施設を利用している利用者の生活に跳ね返ってくることになります。例えば、職員が少なかったある事業所では、利用者がトイレに入っているときに、トイレのドアを閉じていませんでした。ドアを閉めてしまうと、フロアで何が起こっているのかわからなくなってしまうため、あるいは、トイレの中で何が起こっているのかわからなくなってしまうため、ということなのだろうと思います。つまり、ドアを開けっ放しにして、利用者には用を足してもらっていたということになるのですが、これも職員が何人か配置されていれば、いくらでも回避することができたことだろうと思います。でも実際には、職員の数が不足していることによって、利用者のプライバシーでさえも犠牲にせざるを得なくなっていたわけです。
広間に高齢者を集めてテレビを見させておくだけでいいのであれば、確かに職員はそれほど必要ではないのかもしれません。でも、皆さんは本当にそれでいいと思っているのでしょうか? これが、介護職員が足りていないということの現実なのです。もっと人手が足りなくなると予想されている近い将来の高齢者介護のことを考えると、それはそのまま介護保険制度の暗黒の将来を予感させるものだろうと思います。