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高齢者介護の進化遺伝学(2)高齢者介護を進化遺伝学的に眺めてみる

高齢者介護の進化遺伝学(2)高齢者介護を進化遺伝学的に眺めてみる

 

自分自身の生存や繁殖の機会や能力を犠牲にして(適応度を減らして)、例えば同じコロニーの他のメンバーの繁殖に寄与するハチやアリのワーカーに見られるような行動は、利他行動と呼ばれています。血縁選択理論と呼ばれている進化遺伝学的理論は、自分自身の生存や繁殖の機会や能力を犠牲にしたとしても、このような利他的な行動によって血縁者の繁殖に十分に貢献することができるならば、最終的には有利となり、結果的により多くの遺伝子を次世代に寄与することができることを示しています。これは、近縁な血縁個体は祖先を共有することによって、同じ遺伝子のコピーを受け継いでいる確率が平均よりも高いことによります。利他的な行動を行う利他行動の供与者が、利他的な行動の恩恵を受ける利他行動の受容者と、共通する祖先を介して同じ遺伝子のコピーを受け継いでいる確率は血縁度と呼ばれていますが、W. D. ハミルトンはこの血縁度を用いて、ハミルトン則として知られている、利他的な行動が集団の中で増加し進化する条件を以下のように導出しました。

rbc > 0                 (1)

ここで、bは利他的な行動の受容による近縁者の適応度の増加分、cは利他的な行動の供与による適応度の減少分、そしてrは上述した血縁度です。

 

ここで以前にお話ししたレビー小体型認知症を患っていた祖母の介護を例にとって考えてみたいと思います(以前のブログ参照)。式(1)で表されるハミルトン則は、血縁度(r:共通祖先を介して遺伝子を共有している確率)で重み付けられた利他的な行動の受容者の繁殖的利益(b)が、利他的な行動の供与者の繁殖的コスト(c)を上回るならば、その利他的な行動は集団内で増加して進化しうるということを示していました。レビー小体型認知症を患っていた祖母の場合、当時すでに90歳を超えていたわけですから、両親や孫である私たちが、血縁者である90歳を超えた祖母を介護することによって、祖母の繁殖的な利益は当然見込めるものではありません。ですので、上述した式(1)におけるb0になるはずです。一方、レビー小体型認知症であった祖母の生活を支えるためには、介護付き有料老人ホームでの費用や介護サービス利用による介護給付等を含めると毎月数十万円の費用が実際にはかかっていました。もちろん、介護を行うことによるコストは金銭的なものだけではなく、時間的なコストや精神的なコストは評価することは難しいかもしれませんが、決してゼロではないと考えられます。よって、式(1)において c > 0(ポジティブ)ということになるだろうと思います。90歳を超えた認知症の祖母を介護するという行動は、b = 0であるので、その行動が進化するためには、式(1)から −c > 0 でなければならないことになりますが、祖母の介護における実際の状況では c > 0 であったわけですから、ハミルトン則は満たされないことになります。よって、毎月莫大な費用がかかった、90歳を超えたレビー小体型認知症の母を介護するという行動は、利他行動の進化理論として有名なハミルトン則に従うのであれば進化しえなかったはずであり、この行動は集団のなかで広がることはなく、維持されることもなかったはずということになります。それでは、いったい私たちはなぜ年老いた親を介護するのでしょうか?

 

このように、高齢者、とくに年老いた親を介護するという行動を、ハミルトンの利他行動の進化理論の観点から眺めてみると、このような行動は、本来集団の中で広がることはなく、進化しえない行動であったということになります。それでは、両親や孫である私たち血縁者は、認知症になってしまった90歳の祖母を見放して、介護することを放棄することなどできるのでしょうか? 深沢七郎の『楢山節考』のように、私たちは年老いた親を姥捨山に捨てに行くことなどできるのでしょうか? このようなことを考えていた当時、私自身の答えはノーでした。多分、自分には祖母のこと、あるいはやがて現実になるであろう年老いてしまった親のことを見放すことなどできないだろうと思いました。では、なぜできないのかといったことを考えた時に、高齢者を介護するという仕事の大変さ、過酷さを考えると、例えば、周りでやっているからとか、倫理的にやらなければならないからといったような、反強制的な外的要因ではこのような過酷な介護行動は長く続かないのではないかと思いました。もっと深いところにある、もっと強力な、簡単には切り離すことはできない何らかの要因が働いているのではないのかと考えたわけです。実際に周りを見回してみても、高齢者を見捨てるということもないわけですし、当たり前のように高齢者を介護するという行動が行われています。とりわけ日本では、介護保険のような制度もあって、血縁者でもない、いわばあかの他人のお金(保険料)や労力を利用してまでも年老いた親の介護が行われているということになります。では一体、なぜ私たちは高齢者、特に年老いた親を介護するのでしょうか? 有名なハミルトンの進化理論に従えば、集団から排除されてしまっていてもおかしくはないはずの行動を、なぜ私たちは行っているのでしょうか?