高齢者介護の進化遺伝学(4)高齢者介護の進化遺伝学的モデル
年老いた親を介護するという現象・行動を考察するときに検討しなければならないことは、将来莫大なコストをかけてまでも年老いた親を介護してしまうくらいの強力な絆を乳幼児期に親との間で確立することは、進化遺伝学的な観点から見て利益があるかどうか、すなわち集団の中でこのような行動が増加していくことができるかどうかということであると先程述べました。このことを進化遺伝学的モデルの中でどのように考慮していけばいいでしょうか? ここで私は、親による乳幼児の養育という行動と子供による年老いた親の介護という行動との間には強い結びつき(プレイオトロピックな制約)が存在し、乳幼児期に確立される強い親子間の絆が、将来年老いた親を介護するという行動を規定すると仮定した進化遺伝学的なモデルを構築したうえで、以下の2つの点について検討を加えてみました。すなわち、1) 親が年老いた時に高いレベルの介護を、そして子供が乳幼児の時には高いレベルの養育を引き起こすまれな優性対立遺伝子(高ケア遺伝子)が、純繁殖率が1となるように設定され、集団サイズが安定している相対的に冷淡な遺伝子型からなる初期集団のなかで遺伝子頻度を初期的に増加させることができるかどうか、2)年老いた親と乳幼児に対して相対的に低いレベルのケアをひきおこすまれな優性対立遺伝子(冷淡遺伝子)が、年老いた親と乳幼児に対して高いレベルのケアを与える高ケア遺伝子型からなる、減少しつつある初期集団のなかで遺伝子頻度を初期的に増加させることができるかどうか、ということの2点です。
高齢者介護は、例えば、親と子供、祖父母と親、などのような、家族のなかのエイジ・グループ間の相互作用が大きく関わっており、家族メンバーの間のエイジ関係と不可避的に関係しているため、私が用いる進化遺伝学的モデルには集団のエイジ構造を考慮に入れるべきであると考えました。それゆえ、エジンバラでお世話になっていた教授が書かれた論文で詳述されていたエイジ構造を持った集団における血縁選択理論を参考にして、高齢者介護を伴う親子の間の相互作用の進化遺伝学的な有利性の評価と、それに及ぼす集団サイズ(人口)の減少の影響を検討しました。これは、日本のような国々が現在もしくは将来直面するであろう問題であり、将来の世代に対して何らかの示唆を得るためには、考慮するべき要素として重要であると考えています。
ここで用いた進化遺伝学的モデルについてですが、すでに以前のブログの中でも述べているように、エジンバラで勉強していたときに学び、殺虫剤抵抗性の遺伝的変異の変動について検討した際に用いた集団動態学的なモデルを、日本人集団などのような、減少しつつある少子高齢化に直面している人間集団に対して適用したものです。詳細は、拙著『高齢者介護の進化遺伝学 なぜ私たちは年老いた親を介護するのか?』を参照していただきたいのですが、殺虫剤抵抗性と高齢者介護という一見すると全く関わりがないように思われるような現象ではあっても、その基本となる集団モデルは、基本的にはまったく同じものだったということで、私が大学院生や研究員として研究してきたことは、その基礎において、現在にわたって行われている高齢者介護の進化遺伝学的研究においてもしっかりと活かされていることになります。殺虫剤抵抗性を研究してきたのに、なんで高齢者介護なんてやっているのかと疑問に思われてきた人も多いのではないかとは思いますが、実際には、私が研究において用いている基本的なツールは、昔も今もまったく同じだったというわけです。なので、大学院生や研究員などとして殺虫剤抵抗性を研究してきたにもかかわらず、認知症高齢者のグループホームなどのような介護事業所で勤務してきたことは、私の中では必ずしも矛盾するものではありませんでしたし、これまで研究してきたことは、私自身の中で今現在も一貫してしっかりと息づいていることがおわかり頂けるのではないかと思います。