祖父母から寄与を引き出すこと(1)バイトしながら論文執筆
私のように、大学や研究所のような研究機関に所属することなく、高齢者介護施設でアルバイトをしながら、自宅で、いわば市民研究者のような立場で研究活動を行っていましたが、その場合どうしても独りよがりと言いますか、自分が思ったり考えたりしたことが、正しいことのように一人歩きしてしまいがちになってしまうことがあると思います。それというのも、一人で黙々と研究しているわけですから、例えば、仲間同士や敵同士で議論する機会もないので、取り組んでいる問題が頭から離れなくなってしまうと、どうしても見方が偏ってしまうのも、正直やむを得ないことなのではないかと思います。このような、一人で研究することのディスアドバンテージは、一人で研究している以上、やはり避けられないのではないかと思いますが、それだけに、一人で研究していたとしても、独善的にならないように、それなりに対策を考えなければならないのだろうと思います。
台湾から帰国して以来、自宅で分析などを一人で行いながら、私はこれまで論文を何本か学術雑誌に発表してきました。年に何本も書けるだけの金銭的な余裕も時間的な余裕もなく、多くても年に1本といったところだったのですが、それでも論文原稿を書き上げるたびに、例えば、これまでお世話になってきた大学院の時の指導教官ですとか、エジンバラでお世話になってきた教授にお願いして、書き上げた論文を読んでいただいて、ご批判を頂戴しながら、論文を修正して、皆様からいただいたご批判に応えられるように努めてきました。このような、私がこれまでお世話になってきた、私にも面識がある先生方には必ず目を通していただいてご批判をいただいてきましたが、それだけではなく、まったく面識がないものの、例えば、これまでに重要な研究をされてきた、大先輩でもある著名な先生方などにも、失礼を顧みずに、ダメでもともとといった気持ちでメールを送らせていただき、論文を読んでご批判をいただけないかと相談させていただいたこともあります。まったく面識もない、とても遠い存在の著名な先生方ですので、もちろん私のことなど知っていただけているわけもないのですから、見ず知らずの私が出したメールに返事をしていただく義理などないでしょうし、無視されて当然だと思うのですが、それでも返事を返してくれて、しかも原稿に目を通していただくとともに、ご批判までいただけたことが、これまで何度となくありました。教科書にもなっているような著名な書籍の著者であったり、大先輩でもある同じ研究分野の有名な論文の執筆者だったりして、とても忙しいだろうとは思ったものの、それでも失礼を顧みずに、ダメでもともとという気持ちで相談させていただき、自分の拙い論文を読んでいただいただけでなく、ご批判まで頂戴することができたことは、とても有難いことだったと改めて思うとともに、著名な大先輩方からご批判をいただけたことについて、とても光栄に思っています。
前回発表した、高齢者介護に関する私にとって初めての論文についても、大学院の時の指導教官やエジンバラでお世話になっていた教授に、研究の進め方や論文原稿について、個人的にいろいろと相談させていただいていたのですが、その他にも、日本人の研究者で、利他行動の集団遺伝学的な理論的研究をされていた著名な先生を含む何人かの先生方にメールを送らせていただき、論文原稿を読んで、ご批判をいただけないか相談させていただいていました。