祖父母から寄与を引き出すこと(8)高齢者が置かれている現状
認知症は現在、深刻な問題であり、将来さらに深刻になると予測されていますが、このように、人間がこれまでの長い進化の過程で適応されてきた“進化的に適応されてきた環境”という観点から認知症のことを考えてみることは、将来におけるより良い介護につながる手がかりを与えてくれるのではないかと私は考えています。例えば、自然選択は進化的な変化をひきおこす主要な要因ですが、認知症をひきおこす主要な原因疾患であるアルツハイマー病に、その自然選択がどのように影響を与えうるかに関して、これまで様々な理論が提起されており、アルツハイマー病が“文明病”である可能性も提起されています。人間の病気や健康といった身体や精神の状態を、進化の観点に照らして考えていく進化医学という新しい領域がありますが、この進化医学からの知見は、これまで長々と述べてきたように、実際に多くの困難を抱えてしまっているようにみえる介護の現実に対して、多くの役に立つ有用な洞察を与えてくれるのではないかと私自身とても期待しています。例えば、親としての性質や祖父母としての性質といったものを、長い長い進化の過程で人間が獲得してきた自然本性として理解することができれば、実際に家庭内で介護をするときにも、より合理的な理解のうえで介護を実践することができるでしょうし、介護施設で介護職として介護するときにも、高齢利用者だけでなく介護職員にとってもストレスのあまりかからない、より自然な介護の実践にもつながるのではないかと思います。現在、多くの困難に満ちているようにみえる介護の実際の状況に関する様々な視点は、将来のためにも不可欠なものであると私は強く考えています。
同じように、高齢者の繁殖後の長いライフ・スパンが子孫の繁殖成功に寄与することによって進化してきたとするならば、人間の子育てはそもそも祖父母の存在、祖父母からの援助を前提として初めて成り立ちうるほどの過酷な任務であるといえるのではないかと思います。虐待や殺人のような痛ましい報道をはじめ、一人で子育てを背負いこんでしまっている現代の若い母親の育児に関する問題が取り沙汰されることも最近ではとても多いように思いますが、仕事もし、家事もこなさなければならない一人の母親にかかる育児の負担は、今や人類史上最高のレベルになっているということです。現在の若い母親たちの育児環境の問題も、祖母仮説を含む進化理論の観点から眺めてみるならば、あるいは予測されていたことなのかもしれません。
このように、進化遺伝学という枠組みの中で考えてみると、現在多くの困難に満ちている高齢者介護に関するさまざまな問題も、一見関わりのないいろいろな問題ともつながっている可能性がみえてくるのではないかと思います。これらの知見に基づいて、実際の高齢者介護のなかでいろいろな実践を試みていくことによって、少しでも困難なことを減らせることができれば、介護によるストレスも減っていくことにつながるのではないかと思います。少なくとも私は、私の両親の介護において、これまでの高齢者介護の進化遺伝学的な研究によって得られた知見に基づいて実際に自分が介護を実践していく中で、いろいろな知見を積み重ねていきたいと考えています。