より良い高齢者介護観に向けて(1)認知症高齢者にとってのケアプランとは?
これまで長々と述べてきたように、私は数年間にわたって介護職員として高齢者介護事業所で勤務し、ごくわずかでしたが、実際にケアマネとして高齢者のケアプランの作成にも関わらせていただいてきました。たびたび申し上げてきましたが、私がこれらの経験をしていく中で、我が国の高齢者の福祉や介護は多くの困難に満ちているのではないかと感じてきました。ここで、日本において高齢者を介護するうえでの困難の一つを例示するために、認知症の利用者についてケアプランを作成しているという状況を考えてみたいと思います。もちろん、ケアプランを作成するプロセスにおいて、利用者のニーズを認識し、様々な介護保険サービスや地域に存在する様々な社会資源を活用しながら、利用者が生きたいと望む生活を実現できるように努めることが、ケアマネジャーとしての責務であると私は訓練を受けてきました。しかしながら、実際に利用者のためにケアプランを作成しているときに、その利用者が認知症患者である場合には特に、ケアマネジャーとして、もっと言ってしまえば他人として、その利用者のことを私はどれくらい理解することができるのかといつも考えてきました。親と子、夫と妻、友人同士のような、比較的他者との間でコミュニケーションを効果的に図ることができる場合でさえも、私たちは時にトラブルとなるわけですが、もしそうだとするならば、ケアマネジャーは高齢利用者、特に認知症高齢者のことをどれくらい理解することができるものなのでしょうか? 介護支援専門員実務研修プログラムに参加して以来、そして高齢利用者のためにケアプランを実際に作成しているときにも、私の頭はいつもこのような疑問によって支配されていました。
ここで私が議論したいと考えていることと少し関わりがあると思うのですが、イギリスやアメリカ合衆国のような欧米諸国では、アドバンス・ケア・プランニング(以後ACPと略します)が行われてきました。ACPは、患者の精神的な能力が失われたときに実施される将来のケアについての意思決定を、患者が確立するのを援助することを目的とした公式的な意思決定のプロセスとして定義されています。ACPは医師だけではなく患者にも支持されているようですが、知識の欠如、家族や介護者が自分の望みを知っており、それに従うだろうという高齢者の思い込み、医師の不安などのために、ACPを行っている高齢者は非常に少ないとこれまでされてきました。日本では終末期医療についての患者の意思決定をサポートするガイドラインは存在していますが、しかし義務的な事前指針の法的な確立もしくはACPをサポートする法律はなく、それゆえ事前指針の広まりは非常に限られたものとなっています。しかしながら、ACPは患者、介護者、医療専門職の間で定期的にディスカッションが行われるならば、終末期ケアにおいて有用であると考えられています。
私がこれから議論していこうとしていることは、上で述べたACPに関する議論と類似しているようにみえるかもしれませんが、必ずしもそういうわけではありません。確かに、終末期における意思決定は重要な問題であり、それは避けることはできない問題であると思いますが、それだけではなく、健康な状態にある高齢者が、他者によって介護される必要がある自分の将来をどのように想像することができるのかということに焦点を置いています。ここで問題としている高齢者はまだ健康な状態にあるので、この手続きは介護保険制度の枠組みの外にあるでしょうし、また慢性的な持病を抱えているかもしれませんが、生命の危険に今すぐ関わるというわけでもないので、医療保険的な取り扱いの枠組みに入るものでもありません。私たちが意思決定を迫られるような危急の状況では、私たちが選択できるオプションの幅は非常に限られてしまうのは当然でしょうし、それゆえ私は、高齢者がより多くの自由度を持てるように、晩年や終末期というよりも、まだ健康な状態にある老後のより早い段階に焦点を当てています。言い換えると、ここで私が考えていることは、高齢期というものを、高齢者が死に向かうプロセスとしてではなく、たとえ他者からの介護やサポートを必要とするようになったとしても、より良く存在することができるプロセスとしてとらえていこうとするものであり、より良く存在できるように、自分自身で考えてもらい、自らのケアプランを自らで考えてもらおうと試みるものです。