より良い高齢者介護観に向けて(2)自らが作成するケアプランとは?
ケアマネジャーとして高齢利用者に関する情報をできるだけ集めたとしても、私たちはどれくらいその利用者のことを本当に理解することができるものなのでしょうか? 結局、その利用者のことをもっとも良く知っているのは、その人本人なのではないかと思います。もしそうであるとするならば、ケアマネジャーとしてケアプランを作成するとしても、そのようなプランはケアマネジャーの目と耳を介して知覚され、ケアマネジャーによって解釈された利用者像に基づくものであり、それゆえ悪くすれば、そのケアプランは利用者のためのものではなく、ケアマネジャーの自己満足以外の何ものでもなくなってしまう可能性があります。とするならば、それぞれの利用者についてのもっとも良いケアプランは、それぞれの利用者が、自分自身について判断ができる元気なときに、自分自身によって作成されたものなのではないでしょうか?
現在の日本の介護保険制度のもとでは、要介護・要支援の認定がなされてからはじめてケアプランの作成が依頼されることになっているため、どうしても後手後手となってしまい、高齢利用者が選択できるオプションの幅は限られたものとなってしまうかもしれません。病気や障害によって他者からの援助が日常生活を送るために必要となってしまった場合、もしくは認知症になってしまった場合、高齢利用者が希望していた生活は、最悪の場合失われてしまう、あるいは良くても、その利用者が望んでいたであろうと他の人が想像する生活を送らなければならなくなります。それゆえ、高齢者自身が、自分がどのように老後を過ごしたいか、他者からのケアが必要になった場合に、どのように生きたいか、自分が認知症になったら自分はどのような世界に生きるかもしれないか、などといったようなことを、自分が元気でいる間に考え、想像することが必要なのではないかと思います。しかしながら、健康な高齢者がこれらの状況を想像し、先述したいくつかの疑問に答えることは困難なことなのだろうと思います。といいますのは、単純に、自分自身は健康であり、それゆえこれらの状況を考える必要がこれまでなかったためです。失ってはじめて、その重要さを認識することは、私の経験に照らしても、よくあることなのだろうと思いますが、しかしながら、高齢者の老後の生活、もっといってしまえば人間の一生に関することなのですから、“あるある”で済ませていい話ではありません。
(続く)