より良い高齢者介護観に向けて(7)元気なうちに作成したプラン
一方、A氏の場合も、年老いた親を介護していたときの経験が、自分の老後に対するイメージに色濃く反映されていたように思います。特に、認知症であった母親を介護していたときの経験は、彼にとってとても大きなインパクトを持っていたように思います。認知症の母親を介護するという大変な苦労をし、また介護施設に入所してから徐々に母親が安心し穏やかになっていく様子を観察していくなかで、彼は自分自身が認知症になることについて必ずしも悲観的ではない心境に達した様子が、インタビューの中で語られていました。もちろん、認知症になることについて、いくらかの不安はあるのでしょうが、認知症になった年老いた親を介護するという経験が、A氏だけでなくA夫人もまた、このような心境に至らせたのではないかと考えられます。A氏は認知症になった母親を介護していたときの心境について、インタビューの中で以下のように述べていました。
…認知症というか、そういうボケになるっていうことは、そのむしろ、あの、歓迎するかなっていう、そういうのを正直思う時もあるよ、ふっと。だから、その、かわいそうになったとか、そういう感覚はなかったような気がするけどねー…
インタビューの質的データ分析から、A氏の老後の望みや希望は以下のようにまとめることができました。本人自身とディスカッションを行うことによって、私自身のバイアスを排除するとともに、本人からも同意は得られています。
自分が介護を受ける立場になったときに、一番根底にあるものは、自分の人生としてどうであったかだと思う。自分は、おかげさまで、やりたいことをやってくることができた。その中でも自分にとっては、小学生の頃が、一番苦労もしたが、やりたいことをやっていた青春時代であった。だから、認知症になったときの自分の世界は小学生時代なのではないかと思う。自分が認知症になって介護が必要になったら、そのことを思い出して関わってほしい。
終末期は、病院のベッドではなく、うちでのんびりと過ごし、みんなに看取られて最期を迎えたい。介護情報が氾濫し、情報がテレビや新聞にあふれているので、自分の介護について考えたときに、どこから手をつければよいかわからなくなってしまうが、延命の問題についても、大方針についてみんなと話し合っておく必要があり、本などの所持品の処分についても、いろいろと家族で相談しておく必要があると思う。
第一に、インタビューの間にA氏が語ってくれたことは、彼の自分自身の人生に対する満足感を示しており、彼は天命を待つといったような心境であることを明らかにしてくれました。そして自分の終末期についての望みや希望を述べるだけでなく、それと同時に、自分の家族とこれらの問題についてディスカッションしたいという希望を明かしてくれています。彼は当時健康でしたが、家族と自分の老後に対する望みや希望についてディスカッションする明確なモチベーションを持つことは、彼にとってもとても有用であり、将来医療的な治療や他者からの介護を必要とするようになった場合にも、家族介護者や医師、看護師らが関わるかもしれないより良いACPのプロセスをもたらすのだろうと思います。