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両親の介護(1)両親の介護における私のテーマ

両親の介護(1)両親の介護における私のテーマ

 

私の両親は、現在2人とも80歳を超えています。介護の現場で働いている時も、両親よりも若い70代の利用者が必ずしも少数派ではなくなりつつあることを実感していただけに、両親にいつ介護が必要になってもおかしくはありません。実際、父親は2022年の春、ゴールデンウィークの頃に体調を崩し、生命の危機ともいえるような事態に陥ってしまいました。幸運にも、今現在のところは多少落ち着いて、2人とも不自由なく元気に暮らしていますが、あまりにも突然だったため、私たちも動転してしまうことになってしまいましたが、それでも安定した状態にまで戻ることができ、これまで私たち家族が学んできたことが、多少は役に立ったのではないかと思いました。実際に介護が必要な状況になってみると、慌ててしまうものなのかもしれませんが、それでもそこで崩れてしまうことなく、これまでの日常を取り戻すことができたのはよかったと思います。

 

これまで長々と書き連ねてきましたように、私は高齢者の介護を、さまざまな介護事業所において一応一通り経験させていただいてきました。そのなかで、多くの困難や不愉快な出来事に直面し、また少子高齢化が進展して、さらに多くの困難が待ち受けているだろう日本の介護保険制度の暗黒の行く末をにらんだ時に、なによりもまず、国や自治体の言う通りにしていればうまくいく、ケアマネや施設の言う通りにしていれば幸せになれるとは思わないほうがいい、という結論に至りました。これまで長い間、毎月介護保険料を支払ってきたわけですから、介護保険制度を利用しなければならないときには利用すべきですが、たとえそうであったとしても、ただ行政やケアマネの言いなりで決めるのではなく、その必要性を自分たちでよくよく考え判断しなければならないのだろうと思います。国や自治体を当てにするのではなく、自分たちがどういう老後を送りたいのか、そのためには何を準備し、どのように備えていかなければならないのかを自分たちで判断し、決めていかなければならないと思います。そのためにも、両親やきょうだい、家族で話し合う必要があります。

 

私がこれまでに用いてきた進化遺伝学的モデルから導かれる結論や、例えば祖母仮説のような進化学的な仮説から得られる知見に基づくならば、自分の両親や知人に対する私の介護におけるテーマは、高齢者をただ死を待つだけの存在にし、若者世代に対して大きなコストのみを課すような高齢者介護の在り方ではなく、いかにして子や孫などの次世代に対して寄与することができるかを考えた、高齢者介護の在り方を考えていくこと、これに尽きると思います。祖母の介護や、介護職員として介護施設で勤務していく中で、祖母をはじめ高齢利用者の方々から多くのことを教えていただいてきました。私に、介護に関する多くのオプション、選択肢を与えてくださったと思っています。健康なうちから自分自身の老後を考え、思い浮かべていく中で、それを実現するためには、子供をはじめとした家族との間でよく話し合わなければならないでしょう。その時に、多くの人々は、子供や家族の面倒、世話にはなりたくないと考えるのかもしれませんが、前に紹介した論文「より良い高齢者介護観に向けて」のところで議論したように、より良い老後を送るためには何が必要なのかということを、実際の介護の経験を通して、あるいは家族との間の話し合いの中で、子供や孫たちに考えさせ、イメージさせる機会にもなるわけです。それは次世代への負担というものではなく、むしろ貢献であると言えるのではないかと思います。なぜならば、いずれは私たち次世代の構成員も高齢者となり、やがては介護が必要になってくるためです。新たな選択肢を得ることができれば、それだけ多くの可能性が拡がることになります。高齢者介護が今後深刻な問題となると予測されている近い将来に、高齢者からのこれ以上の貢献は恐らくないのではないかと思います。

 

自分の両親の具体的な介護についてですが、今後両親ともいろいろと話し合いながら、何をするか、どうするか、といったことを決めていくことになるのだろうと思います。ただ、私のこれまでの介護職としての経験や、介護施設で私が関わる機会があった利用者の方々のことを考えると、恐らく両親も、何か特別なことを望んでいるとは思えません。毎日歌を歌ったり、何かのゲームをしたりといったことは、恐らく望んではいないと思います。何も特別なことはない、今まで通りの生活をどのようにすれば継続することができるか、これに尽きると思います。ただ、これが一番困難なことであるということも事実だろうと思います。それが難しいから、高齢者介護の問題がこれほど大きな問題になっているのだろうと思います。父親、母親、さらにはきょうだいのあいだでこれから話し合い、さらには、どうすれば甥や姪を含む次の世代へ寄与することができるかを考えていかなければならないと思います。