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両親の介護(2)高齢者介護の未来

両親の介護(2)高齢者介護の未来

 

結局、少子化・高齢化により、就労可能人員がだんだんと減少しつつある中で、経済を最優先し国民に一生懸命働いてもらうために、介護の社会化と称して高齢者をまとめてお預かりしているかのように私には感じられてしまう介護保険制度なのですが、さまざまな介護事業所で実際に介護職を経験して、いくつかの選択肢を考えることができる今、“介護”という名のもとに高齢者がどのように扱われ、そして実際に高齢者の介護にどれだけの費用がかかっているかを考えますと、本当に経済が最優先されているのだろうかと心の底では思わざるを得ませんし、なによりも、何のためにみんな一生懸命働いているのか、国民は納得できないのではないかと私などは思ってしまうのですが、みなさんは実際のところどう思っているのか聞いてみたいところです。もし何百万円、何千万円の費用と莫大なエネルギーと時間をかけて、介護を必要としている高齢者本人には結局感謝もされなかったり、嫌で嫌で帰りたがっているのに無理やり施設にとどめておくことにこれだけの費用がかかっているとするならば、高齢の利用者本人にとっても本意ではないでしょうし、介護保険料を払っている私たちとしても何か感じるものがあるはずだと思います。私の場合、将来両親に介護が必要になったとするならば、時間やエネルギーのことは別にして、費用の面だけを考えてみましても、父方の祖母のように月に何十万円もかかってしまう有料老人ホームで介護保険を使った介護を受けさせてあげることはできないと思っています。研究していると称して、せいぜいアルバイトくらいしかこれまでしたことがなく、安定した収入があまり得られなかったためですが、しかし同時に、介護を一応一通り経験してきた自分であれば、介護保険をあまり使わずに、費用はあまりかからないけれども、それでもずっと満足のいく老後を送らせてあげることができるのではないかと思っているためでもあります。

 

よって、私の場合には、もちろん高齢者介護の進化遺伝学的モデルとも関わりがあることなのですが、介護にかかるコストのことについて、できるだけ詳細に考えていかなければならないと思っています。私の両親が望む老後を実現するためには、どれくらいの費用がかかるのか、例えば、同じことを介護保険を使って行った場合にはどのくらいの費用がかかるのか、使わずに行うことができれば、その差額はどれくらいになるのか、実践してみた結果両親はどれくらい満足が得られたのか、といったことに注目し、検証していきたいと思っています。これまで述べてきたように、私は一応介護職として一通りの職場を経験させていただいてきましたし(ホームヘルプサービス、有料老人ホーム、認知症対応型グループホーム、お泊りデイサービス、ショートステイ、夜勤専従含む)、そしてほんの数か月でしたが、小規模多機能型居宅介護事業所において一応ケアマネとしてケアプランの作成にも携わったことがあります。なので、どれくらいの費用がかかるかは、ある程度計算することができると思います。介護保険制度には、ご存知のように多くの公費が投入されています。国民の生命にもかかわってくることなので、必要以上に切り詰めることはあってはならないと思いますが、それでも今後介護保険制度を必要とする高齢者が増加していくことを考えると、使わなくてもいい費用は減らしていかなければならないでしょうし、それはそのまま国家に対する大きな貢献につながるのではないかと私は考えています。

 

高齢化がさらに進行し、50年後、100年後にこの国がどうなっているかを考えた時に、今の子どもたちが将来抱える高齢者介護の問題は、かなり深刻な問題になっているだろうという結論しか恐らく出てこないのではないでしょうか。今の子どもたちに何を残すことができるかを考えた時に、両親の介護に直面し、私たちがどういうことを考え、どういうことを行ってきたか、その結果どういう幸福な老後を両親は送ることができたのか、あるいは逆にどういう失敗があったのか、どうすれば良かったのか、といったことを記録し、残しておくことによって、未来を担う子どもたちに判断、考察の材料を残すことが私たちにとってもっとも必要なことなのではないだろうかと考えました。私たちが有限責任事業組合 進化・高齢集団研究社を立ち上げ、高齢者介護、特に家族の間で親を介護することに焦点を当てて、さまざまな問題について考察し検証していこうと考えた理由はここにあります。これから両親や家族など、身近な人たちの介護の中で、自分がこれまで学んできた進化遺伝学を背景にしながら、高齢者介護についていろいろと考え、さまざまな知見を積み重ねていきたいと考えています。そうすることにより、将来さらに深刻な高齢者介護の問題に直面するであろう子供たちの世代に対して、いろいろなことを考え、判断するための材料を残していきたいと考えています。