英語の勉強 9ー自分の英語の実力について 3

英語の勉強 9ー自分の英語の実力について 3

 

このように、自分の客観的な英語力を推し量る材料としては、大学院から要求されていたTOEFLでのスコアが550点を超えたこと、そして、アメリカ人の学生にとっても高得点を取ることが難しいとされていたGREテストの英語(国語)の試験で、実質的には0点でしたが、数学では満点だったため、合計点ではなんとか要求されていたスコアをクリアできたことくらいだったと思います。

 

このような英語力を持って、実際に1993年から1997年までのおよそ3年間をアメリカの語学学校での英語研修および大学院の修士課程で(学校を移る時に間が空いている)、そして筑波大学大学院を修了した2002年から、筑波大学で非常勤の研究員として戻ることになった2006年までのおよそ3年半をイギリス・エジンバラ大学での研究員として(途中で数ヶ月間日本に帰国していた)、そして非常勤の研究員として10 ヶ月間台湾の台北で、英語を主に用いて研究生活を送り、そして日常の生活を実際に現地で送ってきました。

 

まあ、研究者としての修行をしてきたわけなので、友人と言えるような存在はおりませんでしたし、 ほとんど学校や研究所と自分が暮らしていたアパートを往復するだけの生活でしたので、日常の生活においては、ほとんど活動らしい活動をしてきませんでしたが、それでも、なんとか何年もの間、健康的に暮らすのに不自由しない程度の英語力はあったと思います。つまり、買い物や、税金、電話代、水道代などの事務処理を行うといったようなことは、まあ、あまりトラブルもなく暮らすだけのことはできていたと思います。しかし残念ながら、お世話になっていた教授をはじめ、授業の中で話をしていた先生や周りのクラスメイトたちと議論らしい議論を行うことはほとんどできませんでした。授業の中で交わされていた、先生や周りのクラスメイトたちが話していることも、まったくわからなかったわけではなかったとは思いますが、それでも、わからなかったことの方が多かったと思います。つまり、日常の生活を、まあソツなくこなせるだけの英語力はあったのだろうとは思いますが、学校や研究所の中で行われていた、もっと本質的な部分での英語力というところでは、残念ながら私にはそのようなレベルには至っていなかったのだろうと思います。そんな残念な英語力だったのですが、それでもデラウェア大学修士課程での修了時のGPAスコア(成績を平均化したスコア。オールAの場合4.0)が3.689だったのは、今から思えば、本質的な英語力が足りていなかった自分としては、かなり善戦した結果だったのだろうと思います。