英語の勉強 12ー英語力向上のためにおこなってきたこと 3

英語の勉強 12ー英語力向上のためにおこなってきたこと 3

 

これまで、YouTubeのチャンネルや書籍などを参考にしながら調べてみたところ、一口に音読といっても、いろいろな方法があるようです。それぞれの方法も、呼び方が人それぞれ異なっているようで、私は正確な用語を知っているわけではないのですが、ひとまず以下のように3つに分けておきたいと思います。一つ目は、私が中学生や高校生だったときに、英語教師が読んだ後に、その後を教師が読んだとおりに、恥ずかしがりながらボソボソと口ずさむような音読(あるいはただ読んでいるふりをしているだけの口パク)、二つ目は、CDなどの音源を聞きながら、聞こえてくる声を追いかけるようにスピーカー(話し手)が話したすぐ後に続いて、テキストを見ながら声を出して読んでいく音読(ここではオーバーラッピングとしておきます)、そして三つ目として、テキストを開くことなく、CDなどの音源だけを聞きながら、それを追いかけるようにしてスピーカー(話し手)が話したことを聞き取りながら、そのまま声を出していく音読(ここではシャドーイングとしておきます)が挙げられると思います。もちろん、それぞれの方法には変異型があるでしょうし、呼び方も異なるかもしれませんが、ひとまずこの3つについて考えて見たいと思います。

 

まず、私が中・高生だったときの学校の授業中に、教師の後にくっついて教科書を暗唱していく、一つ目のタイプの音読について考えてみたいと思います。私が中学生だった40年近く前、スマホやタブレット端末から、いつでも音源をダウンロードできる今とは異なり、英語科の教師が大きなカセット・プレーヤーを抱えながら教室に入ってきて、カセットテープの再生ボタンを押したり、何度も巻き戻ししたりしながら、テープの音を流してくれました。今の子供たちには想像もできないのではないかと思いますが、当時はそれが当たり前だったと思います。テープを聞いた後に、先生が教科書の本文を読み、それに続いてクラスのみんなが一斉にその教師が言ったことを繰り返すというようなことをしていたと思います。クラスメイトみんなの前で、それっぽく英語を発音することは、結構しんどかったです。それを理由にいじめらるというようなことはなかっただろうとは思いますが、他のクラスメイトからとやかく言われるのが嫌だったので、できるだけ目立たないように、当たり障りのないように発音していたと思います。国語の時間にも、教科書の本文を朗読することがあったと思いますが、気持ちを込めて朗読するように教師に言われたとしても、気持ちを込めて朗読することは、私には結構きつかったですね。たまらなく恥ずかしかったと思います。同じように、英語を発音するときも、あまり格好つけずにできるだけフラットに、いわば冷静を装うかのようにして英文を読んでいたと思います。なので、感受性の強かった思春期の中高生時代に、みんなの前で英語を音読することは、本質的な英語の学習にとっては、まったく役に立たないどころか、むしろ逆効果だったのではなかったか思うのですが、どうだったでしょうか。今は昔とは異なり、恥ずかしがることもなくペラペラとみんなの前で英語を話せるようになっているのですかね。アメリカに渡ったはじめの頃も、人前で喋ることの恥ずかしさは、克服することはできませんでした。なので、学校のクラスの中で、みんなと一緒に英文を音読したり、みんなの前で英文を音読することは、むしろマイナスのイメージを植え付けてしまうような逆効果だったと思います。いじめられることがないように、できるだけ人の目につかないように学生時代を過ごさなければならないことが多い日本の中学や高校で、本質的な語学学習を行う上での何かうまい方法はないものかと思います。