翻訳作業 3日目

翻訳作業 3日目

 

言語が異なるもの同士が、お互いを理解するということは、やっぱりとても大変なことなのだろうと思います。今回は、それが如実に現れる結果となりました。英語はやはり、とても難しいと思うとともに、日本語でわかりやすく表現するということも、とても難しいことなのだろうと思いました。日本人同士ですら、お互いを誤解してしまうということはよくあることなのでしょうから、ましてや母国語を異にするもの同士であれば、なおさらなのだろうと思います。

 

今日取り扱う段落は、昨日の続きですが、私は本文の中で以下のように記述しました。

私は大学院生やポスドクとして、進化・集団遺伝学を専門として研究してきました。高齢者の介護という、いわば社会的な問題に対して、私はどういうアプローチをとることができるのか? 私も生物科学の研究者としてのトレーニングを一応受けてきたつもりなので、研究とは何か、ただの空想やお話との違いについては認識しているつもりです。しかしその一方で、科学を学んできた一人の人間として、現状の解釈・説明で満足し、将来予想されている危機に対して何もしなくてそれでいいのか、とも感じてきました。確かに将来のことは誰にもわかりません。私たちにできることは、現在得られている条件から、それらが変わらない、あるいはそれらの変化が何らかの形で予測できるという仮定に基づいて、予測なり考察なりをすることだけです。しかし、その危険性がある程度予測することができるならば、それに対して何らかのアクションを起こさなければ、とも思います。例えば、車の往来の激しいT字路に向かって、小さな幼児がよちよちと歩いていたとします。私たちはそれを後ろから眺めているとします。あなたは科学者であり、将来何が起こるかわからないからといって、そのまま放置することができるでしょうか? たとえ事故に遭う確率は100%ではないとしても、危ないからと手を引いてあげたり、通りに危険がないことを確かめるのではないでしょうか。この幼児が将来の世代だとすれば、ある程度予見される危機に対して、何らかのアクションを起こさなければと感じる私の心情も理解していただけるのではないかと思います。(三代、2021; 赤字は強調のため)

これをそのままGoogle翻訳にカット・アンド・ペーストして得られた英訳は以下のようになります。

 

As a graduate student and postdoc, I have specialized in evolutionary and population genetics. What kind of approach can I take to the social problem of caring for the elderly? I have also received training as a researcher in biological sciences, so I am aware of what research is and the difference between it and mere fantasy or storytelling. However, on the other hand, as a person who has studied science, I have also felt that it is okay to be satisfied with the interpretation and explanation of the current situation and do nothing about the crises that are expected in the future. Certainly no one knows what the future holds. All we can do is make predictions or speculations based on the assumptions that they will not change, or that their changes are somehow predictable, from the conditions currently available. However, if the danger can be predicted to some extent, I think we should take some action against it. For example, let's say a small toddler is walking toward a T-junction with heavy traffic. Suppose we are looking at it from behind. Just because you're a scientist and you don't know what the future holds, can you just let it go? "Even if the probability of getting into an accident isn't 100%, wouldn't you pull your hand out of danger and make sure the streets are safe?" If this child is the future generation, I think you can understand my feeling that I must take some action against the crisis that is foreseen to some extent.

 

ちょっとわかりにくいところだろうと思うのですが、注意してみてみると、赤文字のところは、意味が逆、もしくはまったく意図していないことになってしまっています。念のため、この英訳をもう一度Google翻訳にかけて日本語訳をみてみると、やっぱり意味が逆、もしくは本文とはまったく異なる文になってしまっていますね。

 

私は大学院生およびポスドクとして、進化学と集団遺伝学を専門に研究してきました。 高齢者の介護という社会課題に対して、どのようなアプローチができるのでしょうか? 私は生物科学の研究者としての訓練も受けてきたので、研究とは何か、そしてそれが単なる空想や物語との違いを理解しています。 しかしその一方で、科学を学んできた者として、現状の解釈や説明に満足して、将来予想される危機に対して何もしなくてもいいのではないかとも感じてきました。 確かに、未来がどうなるかは誰にもわかりません。 私たちにできることは、現状の状況から、変化しないだろう、あるいは変化は何らかの形で予測できるという前提に基づいて予測や推測をすることだけです。 しかし、ある程度危険が予測できるのであれば、それに対して何らかの対策を講じるべきだと思います。 たとえば、小さな幼児が交通量の多い T 字路に向かって歩いているとします。 それを後ろから見ているとします。 あなたは科学者であり、将来何が起こるかわからないからといって、それを放っておくことはできますか? 「たとえ事故に遭う確率が100%ではなかったとしても、危険から手を引いて街の安全を確保したいと思いませんか?」 この子が将来世代であれば、ある程度予想される危機に対して何らかの行動を起こさなければならないという私の気持ちは理解していただけると思います。

 

私の日本語が不細工だったというのが大きな原因だとは思うのですが、英訳されることを前提にしているわけではなかったので、自動翻訳される英訳のことまで神経は払っていなかったのは事実だと思います。しかし、もし自分が書いた日本語が、他国の人に自動翻訳にかけられて、誤解されてしまっていたとしたら、これは少し残念なことだと思います。やっぱり、今後は自動翻訳を意識した日本語の表現(つまり、できるだけ簡潔な表現)をしていく努力が必要になっていくのかもしれないですね。というわけで、実際に自分が採用した英訳は、以下のようになります。

 

As a graduate student and postdoc, I have majored in evolutionary and population genetics. How can I approach the social issue of nursing care for the elderly? I have been trained as a researcher in the biological sciences, so I hope I am wise enough that I have already understood what research is and how it differs from mere fantasy and storytelling. On the other hand, as a person who has studied science, I have also doubted if it is okay that I am satisfied with the interpretation and explanation of the current situation, and that I do not take any actions against the future crises. It is true that no one knows what the future holds. All we can do is make predictions and speculations based on the assumption that things will not change, or that change is somehow predictable. However, if danger can be predicted to some extent, I think we should take some measures against it. Please imagine that a small toddler is walking towards a busy T-junction. Suppose you are looking at the baby from behind. Just because you are a scientist and you do not know what will happen in the next, can you just leave the baby alone? Even if his chance of getting into an accident is not 100%, you would rather hold the baby’s hand for safety’s sake or make sure that there is no danger around, I think. If this baby is representative of a future generation, you can understand my feeling that we should take some action against the future crisis that is expected to some extent.

 

海外の人々とわかりあうことは、容易なことではないことが改めて感じられた作業になりました。しかしながら、とても難しいことではありますが、逆にそこが面白いところなのだろうと思います。