翻訳作業 31日目

翻訳作業 31日目

 

本日は、昨日と同じ段落の続きです。家族や学校の中で息苦しさを感じていた自分が、田舎の祖父母と一緒にいた時に感じていた安心感について述べています。私は、拙著の本文の中で以下のように記述しています。

 

こういった状況のなかで、祖父母と一緒にいると、私にはとてもくつろげるような感じがあったと思います。たぶん祖父母は何も言わずに私のことを受け入れてくれていたと思います。自分のことをそのままで受け入れてくれているという安心感を、少なくとも自分は感じていたのだろうと思います。祖父母が何も言わずに、素のままの自分自身を受け入れてくれたおかげで、かろうじて自分自身を維持することができていたのではなかったかと思います。だから、もし祖父母がいなかったら、自分は果たしてどうなっていただろうかと思ってしまいます。私にとって、祖父母の存在はそれほどまでに大きなものでした。(三代、2021、p. 10〜11)

 

恐らく、もっとスマートな表現はいくらでもあると思いますが、私の日本語の文が持っている感じを、とてもよく表しているのではないかと思います。以下のような英訳を得ることができました。

 

Under these circumstances, I believe I felt very at home when I was with my grandparents. Probably, my grandparents accepted me without saying anything, I think. I, at the very least, felt a sense of security that they accepted me for who I was. I believe I was able to barely maintain myself because my grandparents accepted me as I was without saying anything. Therefore, I wonder what would have happened to me if my grandparents had not been there. Their presence was truly invaluable. 

 

祖父母の存在というのは、孫にとってとても大きな存在だと思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか? もちろん、人それぞれだと思いますが、私にとっては、無条件で私のことを受け入れてくれた存在だったと思います。親や兄弟だと、学校の成績だとか、友達の多さとかで、いろいろと小言を言われることもありましたが、祖父母の場合には、そんなことで評価されるのではなく(もちろん、成績が良ければ褒めてくれたりもしましたが)、そんなこと以前に、多分心の底から私たち孫たち自身のことを可愛がってくれたと思います。やはり、田舎の祖父母は、自分の人間形成、自己肯定感の形成にとって、とても大きな存在だったと思います。