翻訳作業 32日目
本日は、昨日と同じ段落の最後の部分であり、この節の最後の部分になります。私は本文の中で以下のように記述しています。
パート職員として有料老人ホームや認知症対応型グループホームで働いているときも、自分の祖父母と一緒にいるような感覚で高齢者と向き合っていました。働いていた当時、私は40歳をとっくに過ぎ、50歳近くではありましたが、その中身は幼稚園や小学校の頃の、祖父母に対する孫の立場としての自分とそれほど大差はなかったのだろうと思います。介護の職場で働いている時、私は祖父母と一緒にいるときの安心感をもらいながら働かせてもらっていたのだろうと思います。ですから、介護の仕事は、世間一般で考えられているように、確かに忙しくて大変ではありましたが、自分は決して高齢者たちと関わることは嫌ではなく、むしろ大好きでした。(三代、2021、p. 11)
もっとスマートな表現は、いろいろとあったと思いますが、日本語の本文の感覚を維持したかったので、以下の英訳を採用しました。意訳や超訳は、原則として行わないことにしています。
Even during my time as a part-time staff member at nursing homes for the elderly or group homes for seniors with dementia, I engaged with the elderly as if I were with my own grandparents. Despite being in my forties and nearing fifty at the time, I believe I was not much different from myself as a grandchild to my grandparents when I once was in kindergarten or elementary school. While working in elderly care facilities, I believe that I was allowed to work with feeling a strong sense of security as if I were with my own grandparents. Therefore, although caregiving work was undoubtedly busy and demanding as most people perceive, I never disliked working with the elderly, but rather liked very much.
今から15年近く前、結局新たな研究職を見つけられず、生活費を得るために介護のアルバイトをしようとして、ヘルパー養成講座を受講していた時や、介護職のアルバイトの面接を受けていた時にも、なぜ介護なのか、他にもいい仕事はいくらでもあるのではないかと、たびたびご指摘を受けました。何もこんな大変な割に賃金が安い仕事をしなくてもいいのではないか、ということだったわけですが、まあ私自身祖父母に可愛がってもらってきたことが根本にあり、その時の記憶といいますか、思い出のようなものがたくさんあったので、むしろ自分にはとても合っていたのだろうと思います。介護保険制度の中での介護と、私自身が抱いている高齢者介護との間のギャップがかなり激しいので、現在は介護保険制度の枠組みの中での介護の仕事からは離れていますが、それでも数年間、多くの高齢者と関わった介護施設での経験は、私にとってとても得難い経験だったと思っています。