翻訳作業 34日目

翻訳作業 34日目

 

本日は、昨日と同じ段落の続きです。研究職を見つけることができずウダウダとしていた時に、祖父母をはじめとする高齢者に対して抱いていた畏敬の念について述べています。私は本文の中で以下のように記述しています。

 

私はこれまで、たかだか40年やそこらの間、やっとの思いで生きてきました。小学校や中学校ではクラスになじめず、周りから嫌われていたり、学校に行くのがたまらなく苦痛であったり、高校では最終的に中退してしまうなど、生きづらくて仕方がありませんでした。さらに、大学院生の時や研究職をしていた時には、こちらが意図していなくとも、自分が興味がある研究を続けるために周囲と嫌でも競争しなければなりませんでした。自分にとってこんなにも生きづらい世の中を、祖父母をはじめ、老人ホームの高齢者たちは、2度の世界大戦など多くの困難を経験しながら、90年も、100年も生きてきたのです。まずその事実に圧倒されます。(三代、2021、p. 11〜12)

 

日本語を話している時に無意識のうちに使ってしまう微妙な意味合いの言葉、例えば「たかだか」や「そこそこ」などといった言葉を英訳する時、日本人としてとても苦労します。なかなかしっくりといく英訳を見つけることができませんでした。そんな苦労の末に得られた英訳は以下の通りです。

 

It is for at most 40 years or so that I have lived, but I have managed to live until now. In elementary and junior high school, I couldn't get used to my classes, and I was hated by those around me. Going to school was unbearably painful. In fact, I ended up dropping out of high school, and building my life at that time was challenging. Furthermore, when I was a graduate student or working as a researcher, I had to compete with others to pursue the research I was interested in, even if I didn't intend to. In a world that is so hard for me to live in, my grandparents and the elderly in nursing homes have lived for 90 or 100 years, experiencing many hardships such as two world wars. First and foremost, I am overwhelmed by this fact.

 

研究職を見つけられずにウダウダとしていた時、私はそれまでの40年かそこらの自分の人生に対して絶望するような気になっていたのだろうと思います。そんな時に、認知症になってしまった祖母をはじめ、認知症対応型グループホームなどの介護施設に入所されていた高齢者と関わることができたのは、私の人生観を変える大きなイベントだったのだろうと思います。