翻訳作業 37日目

翻訳作業 37日目

 

本日は、先日の段落の続きです。介護職として実際に現場で働いてきたなかで、現行の介護保険制度に対して私が感じてきた限界感と不信について記述していこうとしているところなのですが、私は本文の中で以下のように記述しています。

 

例えば、親が認知症であるにしても、障害があるにしても、親を介護することにおいて、やらなければならないことは、介護者が私であろうが、他の人であろうが決まっており、それを私がやらなければ、誰かがそれをやらなければならないことになります。介護保険制度のもとでは、それを例えば、施設の介護職員や訪問介護ヘルパーが有料の仕事として行なうことになるのでしょうが、残念ながら今の制度のもとでは、その必要とされることを行なうことは、はなはだ困難でした。介護というのは、何も食事の介助や排泄の介助だけではありません。もちろんそれらも大切な要素ではあるとは思いますが、決してそれだけではないと思います。(三代、2021、p. 12〜13)

 

今回は、副詞の使い方がとても勉強になりました。もう少しうまく使えるようになれるといいのですが、以下のように英訳しました。

 

For instance, whether a parent has dementia or a disability, the necessary care for him/her is determined irrespective of whether I am the caregiver or someone else. If I am unable to provide the care, it falls upon someone else to fulfill the responsibility. Within the framework of the long-term care insurance system, care is provided by care staff at facilities or visiting caregivers as part of their paid employment. Regrettably, due to the present system's limitations, fulfilling the necessary requirements was exceedingly difficult. Elderly care is not just assistance with meals and personal care. Of course, I recognize the importance of these tasks, but I believe they are not the sole constituents.

 

私が介護施設で働きはじめたのは、もう10年以上前になりますが、私自身、介護保険制度の枠内での高齢者介護の現場から離れてしまってから5年以上経ってしまっています。特にコロナ感染症の時期の介護保険制度の枠内での高齢者介護の現場がどのようになってしまっていたのか、私たちのような一般の家庭のところにはほとんど伝わってこなかったので、実際の介護保険制度の枠内での介護の現場がどのようになってしまっていたのかはわかりません。はっきりと言って、かなり恐ろしいことになってしまっていたのではないかと思うのですが、本当のところはどうだったのでしょうか。