翻訳作業 38日目

翻訳作業 38日目

 

本日は昨日の続きなのですが、区切りがつかなかったので、少し長くなりました。私が実際に、介護保険制度の枠組みの中での高齢者介護の現場で、介護職として勤務してきた中で経験してきたこと、感じてきたことを述べています。私は本文の中で以下のように記述しています。

 

“クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)”という言葉も最近ではよく耳にしますが、介護を受けている人たちの“生活”を考えると、必要とされていることを行なうことは、今の制度のもとではどうみても人員的に不可能だと思うのです。天気がよければ散歩に行ったり、買い物に行ったり、外に食事に行ったりしたいでしょうし、本当であればそうするべきだと思うのですが、根本的にそのような“人手がかかる”ことは、現在の介護保険制度のもとでは想定されていないのではないかと思います。今の制度は恐らく、みんなを大広間に集めて、テレビをつけっぱなしにしておけばいいと考えているのではないか、そう感じました。テレビの前に集められて、じっとしている高齢利用者たちをこれまでたくさん目にしてきました。「つまらない」、「早く死んでしまいたい」という利用者の声をたびたび耳にしてきました。先に引用したMedawarの警鐘文は、決して冗談でもなんでもなく、下手をすれば現実になりかねないのです。そんな介護で、果たしてみんな本当に幸福になれると思っているのか? こんな疑問を胸に抱きながら、こんなことしかできなくて申し訳ないと心の中で思いつつ、できることしかこれまでしてこれませんでした。私が介護させていただいた高齢者のなかで最高齢の方は101歳でした。因果応報といいますが、私も101歳まで生きて、皆さんと同じような介護を受け、同じような介護の苦しみを将来うけますから、こんなことしかできなくて、どうか勘弁してください、そう思っています。(三代、2021、p. 13)

 

ここでは、介護の現場で私が観察した物事と、私が心の中で思っていたことが入り混じっています。それを英語の表現にしたときに、明確にこちらが意図していることが伝わるかどうか、とても難しく感じましたが、以下のように英訳しました。

 

We often hear the term “quality of life (or QOL)” these days. Considering the well-being of the elderly under care, I believe it is impossible to meet their needs adequately within the framework of the current system due to the shortage of staff, regardless of the perspective taken. If the weather is pleasant, they might want to take a walk, go shopping, or dine out. I believe we should strive to fulfill their wishes. However, I think that such laborious tasks are fundamentally not anticipated within the current long-term care insurance system. The current system likely envisions that it is acceptable to gather everyone in a large hall and leave the TV on. I had such an impression. I have seen many elderly users gathered in front of the TV and sitting still. I had frequently encountered users expressing their sentiments such as "It's boring" and "I want to die swiftly." Medawar's warning statement quoted earlier is no joke, and could become real if the situation is mishandled. Does everyone really think that such care could lead to true happiness of the elderly? With these doubts, I felt sorry in my heart that I could only do such kind of things, but I have done only what I can do. The oldest person I have cared for was 101 years old. As there is the word "karma," in the future I'll live to be 101 years old, receive the same type of care as you, and suffer from the same kind of caregiving, so please forgive my ability to do only such things. I worked as a caregiver at care facilities with feeling so in my heart. 

 

私が実際に高齢者介護施設で見たり感じてきたりしたことは、多くの一般の方々には伝えられないところだろうと思います。いろいろと疑問に思うことがありました。今回の記述の中で引用した高齢者たちの言葉はとても重いものがあり、以前引用したP. B. Medawarの警告文は冗談でもなんでもなく、”Something must be done”な状況であることを示唆していると思います。それでは何をどのようにしなければならないのか、そこのところを私たちは現在、試行錯誤しながら取り組んでいるのだろうと思います。今のこの世の中で理解してくれる人がたくさんいるとは思いませんが、”Something must be done”へ向けた第一歩であると私は考えています。