翻訳作業 39日目

翻訳作業 39日目

 

今日は次の段落に進みます。ある介護施設で経験した、終末期の利用者の看取りの時に経験したことについて述べているのですが、私は以下のように記述しています。

 

終末期にある利用者の看取りの問題も、私は実際に体験し、とても考えさせられました。例えば、終末期の利用者が苦しんでいるまさにその時、大広間では他の利用者たちや職員たちがクリスマス会を行っている、そういったことがありました。べつに誰が悪い、どうすべきだったか、というつもりもないのですが、ただこの現実はいったい何なのだろうと思ってしまいます。介護に来ていたその苦しんでいる利用者の家族も、その状況を理解できていなかったのではないかと思います。実際に看取りとはどういうことなのか理解しておらず、施設やケアマネの言いなりにしていただけだったのではないか、そんなふうに感じざるを得ませんでした。(三代、2021、p. 13〜14)

 

ここもセンシティブなテーマであり、海外の方々に私の真意が届いているか、それは直接本人に聞いてみる他ないのですが、以下のように英訳しました。

 

I had first-hand experience with the issue of caring for end-of-life residents in care facilities, and it made me think a lot. For example, at the very moment when a resident at the terminal phase was suffering, other residents and staff members were having a Christmas party in the hall. I am not trying to say who is at fault or what should have been done, but I am struggling to grasp how I can come to terms with this reality. I believe that the families of the suffering resident who came to care for her did not fully understand the situation either. I could not help but feel that the families of the resident did not understand what end-of-life care actually meant and wonder that they were just doing what the facility and care manager told them to do.

 

以前とは違い、今はGoogle翻訳やChatGPTがあるので、私が書いた英文を解釈して、さらには読みにくいところ、修正した方がいいところを提案してくれるので、とてもありがたいと思います。それでも、たびたびAI自体の(おそらく多数派の)解釈が入ってしまうので、自分が意図しているところからは離れてしまうことがあり、そこら辺は注意が必要だと思いますが、それでも第三者的な目を持って批判をしてくれるので、とても重宝しています。