翻訳作業 後期第4日目

翻訳作業 後期第4日目

 

今回、この段落およびこの章の最後の部分になります。前回も述べましたが、私はいくつかの高齢者施設でワーカーとして、そしてごくわずかでしたがケアマネとして働いてきましたが、私の同僚であったワーカーあるいはケアマネの中で、英語に限らず日本語で書かれた論文を定期的に読んでいた人には、残念ながらお目にかかったことがありません。海外の大学であれば尚更ですが、日本の大学の福祉系の学部では、当然福祉に関する研究が行われているはずなのだろうと思いますが、その研究の成果が、私たちワーカーやケアマネに直接届いているということは、まずなかったと思います。大学ではどういうつもりで研究が行われていたのか、その研究はなんのためなのか、などと言ったことは、今後議論する機会もおそらくあると思うので、別の機会に譲りたいと思いますが、それよりも何よりも、ワーカーにしろケアマネにしろ、まず論文を読んでいる暇などなかっただろうと思います。高齢者福祉の仕事に携わっているワーカーをはじめ、ケアマネにしても、忙しくて勉強なんてする暇はなかったのではないでしょうか。これでは、やる気のある職員は、なかなか職場に定着できないのではないかと思います。そんなことを考えながら、私は本文の中で以下のように述べています。

 

しかしここでまた問題が発生してしまいます。こんどは、英語で書かれた論文を読んでくれる日本人はあまりいない、という問題です。やはり、日本の高齢者介護の問題を例にとって議論している以上、できるならば、実際に高齢者介護に従事されている方々、例えばご自宅で介護されている家族介護者、介護施設で働いている介護職員の方々、あるいは、あまり忙しくない、論文に目を通す時間的余裕のあるケアマネ、などといった人たちにできれば読んで考えてもらい、あわよくば建設的な批判を引き出したいと考えてきました。しかし日本人の中には、英語の論文ではまず読んでくれる人はいなかったのではないかと思います。単純に時間がないこともあるでしょうが、英語の論文を辞書を引いてまで調べる気にもならないのではないかと思います。今回私がこのような形で、これまで英語論文として発表してきたことを、日本語でできるだけわかりやすく記述し、まとめようと決めた大きな理由はここにあります。日本が抱えている少子高齢化の問題、高齢者介護の問題は、残念ですが、海外の研究者や興味を持っている人々から注目を受けることができず、さらに残念なことに、日本においてもフランクに議論することもできない、いわば2重の壁に囲まれてしまった問題だと言えるのではないかと思います。(本文 p. 120)

 

私は、確かに、高齢者介護の問題は、とても難しい側面も持っている問題だと思っていますが、それと同時に、いろいろな可能性に溢れた、やりがいのあるテーマであるとも思っています。こんなにも興味にあふれるテーマなのに、海外の研究者からはあまり注目を受けることができず、そうかといって日本では、現場に立つワーカーをはじめとする職員は忙しすぎて、勉強していろいろな可能性を考えているゆとりもなく、日々の仕事に追われているという残念な現実があると思います。ということで、以下のような英訳を得ました。

 

However, another challenge arises here. The subsequent issue is that a limited number of Japanese individuals read papers written in English. As long as discussing the matter of elderly care in Japan as an example, I have had a hope to invite individuals to read my papers and contemplate this issue, who are actively involved in elderly care. Ideally, I would like to receive constructive criticism from those, such as family caregivers tending to elderly parents at home, care-workers in nursing care facilities, or care managers who, while not overly occupied, have the time to review papers in English. However, I do not believe there would have been any Japanese individuals reading the paper if it were written in English. Perhaps they simply lacked the time, but I also suspect that they might not have been inclined to read papers that required the inconvenience of looking up unfamiliar English words using a dictionary. This is the primary reason why I chose to present my research, originally composed in English papers, in a clear and concise manner in Japanese. Unfortunately, issues related to population aging, coupled with a declining birthrate, and the challenges of elderly care in Japan, have not garnered significant attention from researchers and individuals with interest abroad. To make matters more regrettable, these concerns cannot be openly discussed within Japan, too. It can be said that these are precisely the issues encumbered by multiple barriers, making open discussions difficult.

 

世界中広しといえども、博士課程で進化遺伝学を学んできながら、高齢者介護施設で高齢者の糞尿の処理したり入浴の介助をしたりしている人間はいないだろうと思いながら介護職としての仕事をしてきました。私にしか持てない視点があると思いますし、その視点を持って集団の高齢化や少子化の問題を考えていきたいと考えています。  三代