翻訳作業 後期第10日目
本日は、前回までの段落の最後の部分です。結局、私が高齢者介護の進化遺伝学的研究を行ってきた理由は、もちろん私自身この研究に興味があり、研究していてとてもfascinatedされたということもあるのですが、やはり、人間にとって幸福な人生とは、一体どういったことなのかということを、考えてみたかったということにあるのだろうと思います。私は本文において、以下のように記述しています。
自分にとって大切な人をなくすということはどういうことなのかということを、これまでも考えてきました。恐らくこれからも考えていかなければならないのだろうと思います。特に、高齢者介護における後悔しない介護の在り方について、父母や知人の介護を実践する中で、これからも考えていかなければならないと思っています。これは恐らく、高齢者の看取りや生命倫理の問題とも繋がる大事な問題だと思います。(本文 p. 123)
私も実際に高齢者介護施設で、利用者の看取りの問題に触れたことがありましたし、父方の祖母の最終末の段階において、どうしたらいいかということについて、両親と相談したこともあります。簡単な問題だとは決して思わないのですが、母方の祖母のことを考えると、私自身より良い人生を送るためには避けて通ることはできない問題なのだろうと思います。ということで、以下のような英訳を得ました。
I have been thinking about what it means to lose someone important to me. I believe I will probably have to keep thinking about it. In particular, I believe that I must continue to think about how to care for the elderly without regrets, while practicing caring for my parents and acquaintances. I think this is an important issue that is probably connected to issues of end-of-life care for the elderly and bioethics.
日本の高齢者介護は、介護保険制度が始まってから長い時間が経ちましたが、この看取りの問題も大して議論されないまま、見えない糸で導かれるようにして話が進んでしまっているように思います。コロナワクチンを接種して半分死にかけたことは以前申し上げましたが、いつ死んでしまってもおかしくはないように思える今の日本で、これから何十年も生きた先に、果たして自分がどのように扱われることになるのかを考えると、自分自身の家族も子供もいないボッチの私などは途方に暮れてしまいます。誰かからの無言のプレッシャーや気がついたらこうなっていた的な、本当はそんなはずではなかったという方向に話が進んでしまっていることも多いように思います。みなさんの率直なご意見をぜひ伺ってみたいところです。 三代