翻訳作業 後期第9日目
本日は、昨日の段落の続きです。私の人生の中で唯一と言っていい後悔が、大好きであった祖母の介護に関することと葬儀に出られなかったことであると昨日述べました。なぜ私がそれを悔いているのかについて、私は本文の中で以下のように述べています。
第1章のところでも述べましたが、私は祖父母にとてもかわいがってもらいました。私自身だんだんと成長していくなかで、だんだんと忙しくなり、祖母になかなか会うことができなくなりました。祖母は、筑波大学の博士課程に在籍していた間に亡くなりましたが、博士前期課程で、勉強や研究で忙しく、その間病院に入院していた祖母の見舞いにも、ろくに行くことができませんでした。とても悲しかったですが、それでも忙しかったという、言い訳といいますか、諦めもあったのですが、でもその後イギリスに留学し、筑波にいたときの大学院生活を振り返ってみますと、全然忙しくとも何ともなかったのです。見舞いに行こうと思えばいくらでも行くことができたはずだったのです。当時は忙しいつもりだったのですが、あとから振り返ってみれば、ぜんぜん忙しくとも何ともなかった。それが悔やまれてなりません。(本文 p. 122〜123)
大学院生時代には、確かに忙しいつもりでいましたし、実際、土日も学校に行って作業を行なっていましたので、忙しいは忙しいに違いなかったと思うのですが、その後イギリスに留学して、学生ではなくポスドクとして、研究者としてのトレーニングをしていたときには、大学院生時代とは比にならないくらい忙しかったと思います。本当に綱渡りと言いますか、毎日自分はどうなってしまうのだろうという不安な気持ちと共に、精神的にも肉体的にも張り詰めた中で研究生活を送っていました。それに比べたら、大学院生時代は、やっぱり学生であって、指導教官や親をはじめ、誰かしらに守られていたのだろうと思います。ですから、大学院生の時は忙しいには違いないのですが、忙しさの質が違っていて、今から思えば、祖母のお見舞いに行くことも、葬儀に参列することも絶対にできたはずだったと思います。でも当時はそれがわかりませんでした。ということで、以下の英文を得ました。
As mentioned in Chapter 1, my grandparents loved me dearly. As I grew older, my life became increasingly busy, making it challenging for me to visit my grandmother frequently. She passed away while I was enrolled in the doctoral program at the University of Tsukuba. During my master's course, I was busy studying and conducting research, leaving me with a little opportunity to visit my grandmother in the hospital. I was saddened deeply, but I could still manage to accept this fact using the busyness as excuses. However, after experiencing studying abroad in the UK, I compared these experiences with my graduate school life in Tsukuba, only to find that my graduate school life had not been busy at all. I could have had ample opportunities as many times as I wished to visit her. At that time, I believed I was busy, but looking back, I realized that I had not been busy at all. I can't help but regret that.
私の祖父母は孫であった幼い私たちのことを本当に心の底から可愛がってくれていたと思います。休みで遊びに行くたびに可愛がってくれましたが、無条件で可愛がってくれていたと思います。私自身は結婚したことがないので自分自身の子供はおりませんが、妹の子供である姪やおいが生まれ、赤ん坊であった彼らを見ていたときに、本当に心の底から可愛いと思いました。彼らのためならなんでもしてあげようと心底思いました。同じように、祖父母も私たちのことを無条件で可愛がってくれていたと思います。無条件に受け入れてくれたことが、自分の自尊感情、自己肯定感を育ててくれたと思っています。そのような存在であった祖父母を大切にすることができなかったことは、やはり、自分の人生における最大の痛恨事だと思います。 三代