翻訳作業 後期第11日目

翻訳作業 後期第11日目

 

本日は、次の段落に進みます。認知症になった父方の祖母の介護を経験し、実際に介護職員として高齢者介護の世界に入ったわけですが、介護の現場でいろいろな経験をさせていただきました。特に、認知症の高齢者に対応したグループホームでの介護職としての経験は、私にとってとても大きな意味があったと思います。私は本文の中で以下のように述べています。

 

私は祖父母にかわいがってもらってきたので、基本的に高齢者に対しては親近感を持っているのだろうと思います。もちろん、この人とは相性が悪いという高齢者もいるにはいましたが、それでも基本的には高齢者介護の世界に関わることができてとても良かったと思っています。そのなかでも特に私は、認知症高齢者対応型グループホームでの介護職員としての仕事は、とてもやりがいを感じたし、とても貴重な経験をさせていただきました。いくつかの施設で働く機会があったのですが、ある施設では、認知症である利用者の自主性や自立性を重視し、あくまでも職員は影の存在として、いわば人形浄瑠璃の黒子のように振る舞うことを求められました。施設の掃除にしろ、食事の準備にしろ、食材の買い物にしろ、基本的には入居している認知症の利用者たちが主体的に取り組み、職員はいわば、陰のサポート役として利用者の活動を支えるわけです。(本文 p. 123)

 

有料老人ホームでは、利用者の皆さんは、いわばお客さんであり、もちろん一般の企業が運営していたということもあったとは思いますが、職員が一方的にサービスを提供するという構図があったと思います。しかし認知症対応型グループホームでは、そうではなかったのですね。職員がやってしまえば、すぐに終えられるような仕事でも、利用者の方にできるだけやっていただくように、私たちはあまり手を出さないように言われていました。これが結構大変で、最初慣れないうちは、正直なところイライラを抑えながら待たなければならないので、かえってくたびれてしまっていました。そのようなことを表現したくて、以下のような英訳を得ました。

 

I had always been loved by my grandparents, so I think I generally have an affinity for the elderly. Of course, there were some elderly people with whom I feel incompatible, but, in general, I believe it was a great opportunity for me to be able to be involved in the world of elderly care. In particular, I found my work as a care worker at a group home for elderly people with dementia to be very rewarding and to provide valuable experiences. I had the opportunity to work at several facilities, one of which emphasized the autonomy and independence of its users with dementia. In this facility, the staff were asked to behave like shadow figures, akin to Kuroko in Ningyou-Joururi, a Japanese puppet show. Whether it is cleaning the facility, preparing meals, or shopping for ingredients, the residents with dementia essentially took the initiative. The staff acted as supporters behind the scenes, as I might say. 

 

私は、この認知症対応型グループホームでとても得難い経験をさせていただくことができたと思います。私自身、働いていてとても楽しかったですし、何よりも、そこで生活されていた認知症だった利用者の方々が、とても楽しそうに生活されていたので、高齢者介護に対する可能性が見えたような気がしました。それは、認知症になっても明るく笑って生きることができるような社会に対する憧れと言ってもいいと思います。私の目からは、利用者の方々は不幸せには見えませんでしたし、決して「早く死にたい」なんて思っていないように見えました。私もこれからもっともっと考えていかなければならないと思っていますが、認知症高齢者が明るく笑って生きていけるような世の中は、たぶん私たちにとっても生きやすい世の中なのではないのかと思いました。グループホームで生活されていた利用者の方々を見てきて、認知症の高齢者にとって幸福とは何かを考えることは、私たち自身の幸福を考えることにもつながるのではないかと思うようになりました。つまり、ユートピア的なコミュニティーへの社会進化を考えていきたいと思うきっかけを与えていただいたと思っています。