翻訳作業 後期第14日目
本日は、これまでの節の最後の段落になります。私がなぜ高齢者介護の進化遺伝学の研究を行っているのか、簡単にまとめています。私は本文の中で以下のように述べています。
実際に介護の現場を経験し、ひしひしと迫ってくる危機を前にして、“はじめに”のところで述べたように、わからないことがあるからといって、何もしないというわけにはいかないだろう、という意識から研究を始めてきました。特に人間に関することが宗教的な束縛から離れて近代科学の研究対象になったのは、比較的最近のことでしょうし、まだまだタブーとされていることもたくさんあるのではないかと思います。ましてやショウジョウバエのように遺伝学的な実験の対象として人間のことを研究することなどできないのですから、わからないことの方が多いのは、ある意味当たり前であり、人間に関するわからないことがわかるようになるまでに、これからさらに多くの時間が必要だろうと思います。わからないことがわかるようになるまで待つだけの余裕は私たちに残されているのでしょうか? むしろわからないからこそ、新たな知見を求めて研究をするのだろうと思います。確かに、人から誤りを指摘されたり、不備を指摘されるのはつらいことではあるとは思いますが、それでもそれらの批判からさらに良い知見が得られるのであれば、それでいいではないかと私自身は思っています。何よりも、建設的な批判や議論が望まれているのではないでしょうか。(本文 p. 124〜125)
高齢者介護の現場で働いていた時に、ああしたらいいのではないか、こうしてあげたいなあ、と思うことがあっても、それを実際に実行に移すことはできないことが多かったと思います。一つは、これまでにも述べてきましたように、職員が足りていない状況では、自分の考えを高齢者介護の現場で実行に移すだけの自由度はなかったためであり、もう一つは、利用者の方はやはり他人であって、ご本人はもちろんなのですが、ご家族のお考えもあるので、なかなか実行に移すことはできませんでした。私が自分自身の親、祖父母の介護を中心に高齢者介護のことを議論してきた理由は、もちろん血縁選択理論という利他行動の進化に関する進化遺伝学的な理論に依拠していることもあるのですが、現実の問題としてそのような事情も、わずかですが一部としてありました。私にとって親は2人しかいないわけですから、年老いた親の介護について私が考察できる真の機会は、両親についてしかないわけで、当然限られた範囲での考察にならざるを得ないと思います。しかしだからと言って何もしなくていいというわけにはいかないのではないのか、というのが私の正直な気持ちです。ゆくゆくはそれぞれの家庭でこのような考察が増えてゆくことを期待しつつも、このような考察が増えていくことを待っているだけの時間は私たちにはないと思います。なので、必ずしも理解されているとは思ってもいませんが、かといって理解されることを待っているだけの時間はないと思います。とにかく自分が正しいと思うことを、自分の両親の介護の中で実行していかなければならないと思っています。ということで、以下のような英訳を得ました。
Having actually experienced the field of elderly care and confronted with the ever-looming crisis, I realized that, as mentioned in the Preface, I cannot remain doing nothing simply because we do not understand something. With this realization, I embarked on my research. In particular, it is only relatively recently that matters related to humans have been liberated from religious constraints and become the subject of modern scientific research. Therefore, I believe there are still many topics considered taboo. Furthermore, since it is impossible to conduct genetic experiments on humans as we would with materials like fruit flies, it is natural that there are many aspects we do not yet comprehend. I think that more time will be needed in the future for us to understand these aspects of human biology fully. Can we afford to wait until we uncover what is currently unknown? In fact, I believe it is precisely because we do not know that we engage in research to discover new insights. I acknowledge that it can be painful when people point out mistakes or deficiencies. However, I personally believe it is beneficial if we can gain better knowledge from such criticism. Above all, I think we are seeking constructive criticism and meaningful discussion.
アメリカという国は、やっぱりすごい国だと思います。アメリカ人たちは、1960年代から70年代にかけて、人間を月に送るという途方もない計画をたて、それを実際に実行に移しました。多くの天才たちが人力で途方もない計算を行いつつ、成功させたわけです。現在のように、コンピューターで何もかもが管理されていたわけでもなく、また、何もかもがわかっていたわけでもなかったと思います。未知の危険にたえず晒され、実際に尊い犠牲を払いながらも、それに屈することなく実際に実行に移し、それを成功させた。この圧倒的な勇気は一体なんなのだろうかと、一人の日本人として心の底から思いますし、とても羨ましく思います。私たち日本人は、失敗やそれに対する批判を恐れて前進できずにここまで来てしまったのではないかと思います。わからないことがあるからこそ、それを理解できるように前に進まなければならないのではないかと私は考えています。私一人に対する批判など、生命の進化の流れの中では、はっきりと言ってなんの意味もないと思います。そう言った意味で、ご批判はいつでも大歓迎ですし、ぜひ議論をして、より良い解決策をお互いに探していければと思っています。 三代