翻訳作業 後期第18日目
本日は、昨日と同じ段落の続きです。私の介護に関するキャリアの中で、現場での体験としては一番最初でしたが、介護実習でお世話になったデイサービスを利用していた高齢者たちを実際にこの目で観察していて感じたことを、率直に述べているところです。私は以下のように記述しています。
高齢者たちは何もゲームや音楽などのエンターテイメントといった特別なことを決して毎日望んでいるわけではなく、多分、いつも通りの生活、日常をいつも通りにただ送りたいだけなのではないかと思います。それができなくなっていることが悲しいのであり、そこをなんとか考えていくことが介護の仕事なのではないか。一番最初のデイサービスでの実習の中で感じた強烈な違和感とともに、現在でも私は、高齢者介護に対して、そのように考えています。長谷川和夫博士の、デイサービスに行きたくないと思うことが時々あるという言葉を目にし、私のわずかながらの介護職としての経験ではありますが、その中でも一番最初の施設実習の時に感じた、介護保険制度に対する強烈な違和感を思い出しました。(本文 p. 126〜127)
デイサービスを利用していた高齢者の多くは、決して楽しそうには見えませんでした。高齢者たちがお茶を飲みながら話をしているように見えたテーブルとは離れて、一人で文庫本を開いて読んでいたように見えたおばあさんのことは昨日お話ししましたが、このおばあさんの姿は今でも忘れることはできません。なぜかというと、もし何かの手違いで私が医師から要介護の状態だという診断を受けてしまって、何かの手違いで私がデイサービスに通わなければならなくなってしまったとしたら、おそらく私もこのおばあさんと同じように、みんながいるホールからは離れた片隅で、ちょっとした専門書のページをペラペラと行ったり来たりしているだろうなあと思ったからです。私はこのおばあさんのことが人ごととは思えなかったのだろうと思います。一生懸命に文字を追ってはいるものの、文字は頭の中には入ってきてはいなかっただろうと思いますが、それでも文庫本を開いて読もうとしていたのではないかと思います。私がどんな本を読んでいるのかと尋ねたら、ものすごく嬉しそうに話をしてくれたように思います。女学校出のインテリな女性だったと記憶しています。このおばあさんはデイサービスで、ものすごく寂しい思いをしているだろうなあと思いました。このような存在にしてしまう前に、何か打つ手立てはなかったのだろうかと思うのです。デイサービスで過ごされている高齢者の姿を見て、我が身になぞらえてしまい、どうにも苦しかったと思います。ということで、以下のような英訳にしました。
I believe that elderly individuals may not necessarily desire special activities such as games, music, and entertainment every day. Instead, I believe they simply wish to live their lives as usual and go about their daily routines. It is disheartening for them that they are no longer able to do so, and I consider it a crucial task of elderly care to explore ways to make this normalcy possible for them. I still think of elderly care in this way, along with the strong discomfort I felt during my initial training at a day care service. Reading Dr. Kazuo Hasegawa's words about his occasional reluctance to attend a day care facility brought back memories. Despite my limited experience as a care worker, it reminded me of the intense discomfort I felt with the long-term care insurance system during my first training at the facility.
現在の高齢者介護の制度や政策は、高齢者のためのものではなく、高齢者をとりまいている人々のための制度であり政策だと思いました。まだ介護職としての経験がない、まったくサラな状態だったので、なおさらその時の印象は強烈だったのだろうと思います。そういった意味で、認知症になってやっと認知症のことがわかったとおっしゃられていた長谷川博士の言葉はとても重たいものがあると思います。私が介護実習の時に感じたこの強烈な違和感は間違いではなかったことを教えてくれていると思います。高齢者介護という名のもとに、高齢者がどのような存在にされているのか、私たちはもう少し目を向けてもいいのかもしれません。実際に自分の目で見て、自分の身になって感じる必要があるのだろうと思います。ご意見等ございましたらお聞かせいただければ幸いです。 三代