翻訳作業 後期第22日目

翻訳作業 後期第22日目

 

本日は、昨日と同じ段落の続きです。昨日は、家族介護と一括りにされてしまっていますが、高齢者介護を進化遺伝学的な観点から眺めてみた場合、介護者と被介護者との間に血縁関係があるかどうかで状況はまったく異なる可能性を指摘しました。私がこれまで進化遺伝学的モデルを使って議論してきたことは、将来年老いた親を介護してしまうくらいの、幼少期に両親との間で築かれる確固とした絆が乳幼児期の高い生存率を保証するものであり、その場合、たとえ年老いた親を将来膨大なコストをかけて介護したとしても、進化遺伝学的には、十分に見返りのあることなのだということでした。よって、血縁関係のある実の子供が行う介護と、義理の娘や配偶者が行う介護とでは、私がこれまで用いてきた進化遺伝学的モデルとは異なる状況であり、一概に一括りにはできないことを議論しました。今回は、さらに血縁関係のない、まったく見ず知らずの介護職員による介護について議論しています。私は以下のように記述しています。

 

さらに言ってしまえば、血のつながっていないあかの他人が、他人の年老いた親を介護している現在の介護保険制度を考えたときに、無条件に依存することの危険性を認識しておくべきだろうと思います。率直に言って、身内でさえもストレスのかかる仕事を、強力な絆のないあかの他人に委ねるのですから、常識的に考えれば、身内の人が感じる以上の苦痛を感じていてもおかしくはない仕事を他人にしてもらっていることになります。介護の社会化と称して、さも当たり前であるかのように他人に介護してもらっているように見えるのですが、例えば介護職員に対して、自分たちが感じる以上のストレスを職員たちは感じながら働いているのだという認識をもって働いてもらっていると言えるような労働条件を準備してあげられているのか、あるいは賃金を供給することができているといえるのか、といった視点は恐らく必要なんだろうと思います。(本文 p. 128)

 

血縁関係のない、例えば老老介護のような配偶者間の介護や、息子の嫁のような義理の娘による介護と同様に、介護職員は通常、まったく血縁関係のない赤の他人である場合がほとんどであると思います。それゆえ、私のこれまでの進化遺伝学的なモデルを用いた実の子供による年老いた親の介護とは、状況が異なり、分けて考える必要があると思います。介護という言葉で一括りにしてしまうと、隠されてしまうことも多いのではないでしょうか。ということで、以下のような英訳にしました。

 

Furthermore, when considering the current long-term care insurance system in which unrelated strangers are responsible for the care of someone else's elderly parents, I believe we should recognize the dangers of relying on this system unconditionally. Frankly speaking, if we have someone else, usually strangers without strong bonds, do our tasks for us—tasks that even our own family members find stressful—common sense suggests that these individuals may experience even more distress than our own family members do. It is referred to as the socialization of caregiving, but it seems to me that we are asking others to provide care as if it were a matter of course. For example, I believe it is probably necessary for us to consider whether proper working conditions are in place for caregivers and whether they receive adequate wages, with recognizing that caregiving staff are working with experiencing more stress than we may personally perceive.

 

私は実際に介護の現場で介護職員として働いてきました。認知症高齢者に対応したグループホームでは、利用者の方から引っ掻かれて、毎日のように腕が血だらけになりながら介護をしていたこともあります。下剤が合わなくて、大量の便にまみれた利用者をどうしたらいいかと途方に暮れたこともあります。利用者のおばあさんの一人から顔に唾を吐きかけられたこともあります。まあ、こんなことばかりではなく、良かったと思うこともたくさんあるのですが、それでも毎日かなりのストレスを感じながら働いていたことは事実だと思います。実の親を含む身内だったら、頭に来てもその怒りを表明することもできるのかもしれませんが、施設の利用者に対しては、怒りを直接口に出すことはできなかったことの方が多かったと思います。それでも、頭にきて利用者の一人と口論に及んでしまったこともありましたが、フロアのリーダーの職員から、「手が出なかったのはさすがですね」と褒められたことがあります。そんなことで感心しているくらいならば、口論になる前に止めてくれよと心の中で絶叫していましたが、それでも、介護職員は毎日イライラをためながら働いているのだろうと思います。血のつながりのない高齢者であればこそ、かかるストレスも大きくなることも多いのではないでしょうか。介護職員の不足が叫ばれて久しいと思いますが、国や自治体に、こういった観点はあったのか疑問に感じています。金さえ出せばやるだろう的な、お殿様感覚でいたら、職員の気持ちは決して見えてこないと思います。 三代