翻訳作業 後期第27日目

翻訳作業 後期第27日目

 

先日からセンシティブな議論をしていると思いますが、誤解を恐れずに続けたいと思います。願わくば、最後まで議論の行方を見守っていただければと思います。私は以下のように記述しています。

 

私も一応、介護職員として高齢利用者の介護を実際に行ってきたので、例えば、老人ホームの対応ですとか、職員の仕事ぶりについて、どうこう言うつもりはありません。3回も骨折してしまったことは、ちょっと考えにくいことであり、改善の余地は恐らくあるとは思いますが、それでも、事故を恐れるあまり、祖母のことを動けなくさせてしまうわけにもいかなかったでしょうから、活動的な祖母の場合にはそれもやむを得ないのかなあと私は思っています。それとは別に、みなさんにぜひ考えてもらいたいのは、有料老人ホームに入所し、そこで介護保険制度を使って介護を受けながら、寝たきりの祖母の生活を支えるのに、公費私費あわせて年間何百万円もの費用がかかっていたということです。みなさんはどう思われるでしょうか? 一通り介護を経験してきた今、私が祖母の介護に関わることができたならば、たとえ寝たきりであったとしても、もっとお金をかけずに、ずっと良い老後を祖母は送ることができたのではないかと思います。私にはそれをイメージすることができます。(本文 p. 130)

 

人生において、”〜だったら” であるとか、〜であれば” ということを議論してもしょうがないのかもしれません。しかしながら、一応ですが一通り高齢者介護を経験してきた今、認知症であった祖母の介護について振り返った時に、いろいろと感じてしまうのは、やむを得ないことだと思います。介護の現場でいろいろと経験させていただいたことで、私自身の見方が変わった、もしくは視野が広がったのだろうと思います。ここの日本語の文章の英訳も難しかったですが、以下のような訳としました。

 

As a care worker myself, I have actually provided care to elderly users, so I have no intention of commenting on the care of nursing homes or the work performance of the staff, for example. It is a bit hard for me to imagine that she had broken her bones three times at the paid nursing home, and I think there is probably room for improvement. However, I do not think that care staff members there could have kept my grandmother from being able to move out of fear of an accident, so it seems to me unavoidable in the case of the active grandmother. Apart from that, I would like everyone to consider that it had cost several million yen annually, comprising both public and private funds, to support my bedridden grandmother in a paid nursing home while receiving nursing care through the long-term care insurance system. What are your thoughts? Now that I have experienced various kinds of nursing care firsthand, I believe that had I been involved in caring for my grandmother, even if she had been bedridden, she would have been able to live a much better life with significantly reduced expenses. I can envision it.

 

可愛がってくれた母方の祖母のこと、認知症になってしまった父方の祖母の介護のことを振り返った時に、ああしてあげたかった、こうしたかったと思うことがいろいろとあるわけですが、介護の現場でさまざまな経験をさせていただいた今、それを実現することができるというイメージが私の中にはあるわけです。それは、今後、両親や親戚、知人の介護の中で生かしていかなければならないのだろうと思います。 三代