翻訳作業 後期第28日目

翻訳作業 後期第28日目

 

本日は、この節の最後の段落です。際どい議論が続いてきましたが、認知症だった祖母の介護について再び振り返ってきたことに対して、一応結論を述べているところです。私は本文の中で以下のように述べています。

 

ここで誤解されたくはないのですが、私は寝たきりの祖母の余生がこれだけの費用に値しなかったと述べるつもりもなく、また、介護保険を使うべきではなかったと言うつもりもありません。両親も祖母も何一つ違法なことはしておらず、98年間一生懸命生きてきた祖母が当然の権利を行使していたにすぎないと今でも思っています。当時はまだ私たちも介護を経験したことがなく、認知症に対する認識もありませんでした。なので、当時の両親や祖母には、有料老人ホームに入所する以上の選択肢はなかったと言えるのではないかと思います。しかし、実際に祖母の介護を経験し、さらに私は、一応一通り高齢者介護の仕事を経験し、さらに現在、進化遺伝学的に高齢者介護を考察することにより、祖母の介護をしていた当時よりも多くの選択肢を持っていると言えるのではないかと思います。よって、これからの両親の介護、知人の介護に祖母の経験、これまでの施設でいろいろと教えてくれた高齢利用者たちの教えを活かしていく努力が私には求められているのではないかと思っています。(本文 p. 130〜131) 

 

私にとって、認知症であった祖母の介護が、高齢者介護に直接向き合うことができた初めての機会だったと思います。もちろん、寝たきりになってしまった母方の祖父や、大好きであった母方の祖母の介護について考える機会はありましたが、直接考えることができるほど、私の方の準備はできていませんでした。なので、私にもいろいろと後悔することがあったのですが、私もいろいろな経験をさせていただいて、少しは成長してきたのではないかと思います。今後、両親や知人の介護をする時には、これまでの知見や洞察をしっかりと活用していかなければならないと思います。ということで、この節の最後の段落については、以下のように英訳しました。

 

I do not want to be misunderstood here, but I am not saying that my bedridden grandmother's remaining life was not worth the cost, nor am I saying that she should not have used the long-term care insurance. I still believe that neither my parents nor my grandmother did anything illegal and that my grandmother, who had lived a challenging 98 years, was simply exercising her rights. At that time, we had no experience with elderly care yet, nor did we possess any awareness of dementia. Therefore, I believe it can be said that my parents and grandmother had no choice but to have my grandmother stay in a paid nursing home at that time. However, having gained hands-on experience in caring for my grandmother and acquiring diverse insights from caring for the elderly at different facilities, I am currently exploring elderly care from an evolutionary genetic perspective. As a result, I believe I now have more options than we had when caring for my grandmother with dementia back then. Therefore, I believe that I will be required to make efforts to leverage the experience of caring my grandmother and the lessons learned from elderly users, who have taught me valuable insights at various care facilities so far, in the care of my parents and acquaintances in the future.

 

祖父母や両親の介護を通して、自分が実際に老いたときにどのような老後を送ることになるのか、あるいはどのように扱われることになるのかをあらかじめ体験し考えていくことは、今後の人生を生きていく上でとても大事なことなのではないかと思います。たとえば、これまで何度も議論してきたように、もし将来、年老いた時に粗末に扱われてしまう世の中なのであれば、どうして今を一生懸命になって生きていくことができるのか、どうして心や体の健康を損ねてまで一生懸命になって働くことができるのか、私たちは理解できないのではないかと思います。高齢者介護を考えることは、自分自身の将来を考えること以外の何者でもないと思います。なので、認知症だった祖母の介護を通して、私たち自身の将来を考えさせてもらう絶好の機会だったのだろうと思います。  三代