翻訳作業 後期第34日目
本日は、昨日と同じ段落の続きです。高齢者介護の現場でいろいろな体験をさせていただき、それらの経験に基づきながら、これまで進化遺伝学的な観点から高齢者介護という人間の自然本性にも関わりうるような行動や性質について考察を行ってきました。これまで現場で働いてきて、介護保険制度に基づく高齢者介護は、高齢者のための制度では決してないと近年実感するようになりました。日本という国の本質的な部分というのは、恐らく江戸時代以前からほとんど変わっていないのではないかと思います。高齢者介護施設で働きはじめたあの頃、介護主任から介護に対する夢を尋ねられたことについては昨日お話ししましたが、介護主任も私もナイーブだったのだろうと思います。それとも、私だけが何も気が付かずに働いていたのでしょうか? ということで、私は本文の中で以下のように記述しています。
私の場合、将来両親に介護が必要になったとするならば、時間やエネルギーのことは別にして、費用の面だけを考えてみましても、祖母のように有料老人ホームで介護保険を使った介護を受けさせてあげることはできないと思っています。研究していると称して、せいぜいアルバイトくらいしかこれまでしたことがなく、安定した収入があまり得られなかったためですが、しかし同時に、介護を一応一通り経験してきた自分であれば、介護保険をあまり使わずに、費用はあまりかからないけれども、ずっと満足のいく老後を送らせてあげることができるのではないかと思っているためでもあります。よって、私の場合には、介護に関わるコストのことについても考えていかなければならないと思っています。(本文 p. 133)
私の父方の祖母は、認知症の周辺症状が顕著になってしまった後、有料老人ホームに入所することになりました。以前にもお話ししましたように、有料老人ホームに入所した祖母の生活を支えるためには、公費・私費含めて、1ヶ月に数十万、年間で考えたら気が遠くなるような費用が実際にはかかっていたわけです。自分の研究を行いながら、アルバイトの時間講師としての収入があるといった程度なので、もし今の段階で両親に介護が必要になってしまったら、祖母と同じように、介護付き有料老人ホームに入れてあげることは、私だけの力では不可能なことです。もっとも、両親が望めば話は別ですが、私の個人的な見解としては、費用のことは別にしても、両親を老人ホームに入れるつもりはまったくありません。ということで、以下のような英訳としました。
In my case, if my parents were to require nursing care in the future, apart from the time and energy considerations, even if I just think about the cost, I do not believe I would be able to provide such care by placing them in a paid care home, similar to my grandmother's case, by utilizing the long-term care insurance. This is because I have only worked part-time at most under the slogan of conducting research, and as a result, I have not been able to earn a stable income. However, at the same time, I believe that if I, with diverse experiences in nursing care from several facilities, could personally care for my parents, they could spend their later years more satisfactorily, even without heavily relying on the long-term care insurance and its associated significant costs. Therefore, in my case, I believe I also need to consider the costs associated with nursing care.
結局、父方の祖母は有料老人ホームで3回骨折し、その後寝たきりとなってしまいました。有料老人ホームでの寝たきりの生活のために、有料老人ホームの家賃や食事代、そして何よりも介護保険を利用した介護にかかる介護給付や自己負担分を考えると、1か月に数十万の費用が実際にはかかっていたことになります。以前にもお話ししたように、実際に介護を経験したことがなかった祖母を含む私たち家族にとって、祖母が有料老人ホームに入所するという選択はやむを得なかったと思います。しかし、例えば父親や母親に介護が必要になった場合、私には介護職としての経験があるわけですから、私が両親の家で介護を行うことができれば、1ヶ月にかかる公費・私費合わせて数十万円もかかる費用をかけなくても、有料老人ホームに入所するよりもずっと良い生活を送ることができると確信しています。私が実際に介護した場合、多額の公金を使わなくても済むわけですし、自宅があるにも関わらず有料老人ホームに入所しなくて済むわけですから、私が両親の実家で実際に行う介護は、プライスレスの満足度を含めると、数十万円以上に値する活動であると私は考えています。体や心を壊してまでも一生懸命になって働きながら、病院でお薬を出してもらいつつ、年老いた親の介護でこれだけの費用をかけなければならないとしたら、医療費や介護保険料を払うために一生懸命になって働いているのではないかと、私などは錯覚してしまいますが、皆さんはどのようにお考えになりますか。 三代