翻訳作業 後期第39日目
本日から、最後の最後である「おわりに」に進みます。ここでは、私が進化遺伝学というまさに自然科学の一領域で研究を行ってきながら、必然としか言いようのない形で高齢者介護という領域に足を生み入れることになったのですが、高齢者介護の問題は、社会学という領域の中で取り扱われる問題だろうと思います。進化遺伝学を専攻してきた私が、社会学とどのように出会ってきたのかについて、これから述べていくことになるのですが、その前段階として、私は以下のように記述しています。
おわりに
なぜ年老いた親を私たちは介護するのでしょうか? 一見したところ、年老いた親を介護するという行動は、莫大な費用や時間、労力といったコストばかりかかってしまう利他的な行動であり、この現象・行動だけに注目するならば、集団から排除されてしまっていてもおかしくはない行動なはずです。それにもかかわらず、現在ほとんどの人が年老いた親を見捨てることもなく、実際に介護しています(介護保険制度の介護サービスの利用等も含む)。コストばかりかかるにもかかわらず、年老いた親を介護するという行動が集団中に維持される進化遺伝学的なメカニズムは何か、どのような進化遺伝学的な力が作用して高齢者介護という行動が集団中に維持されているのか、その究極的なメカニズムを明らかにしたいと私は考えてきました。(本文 p. 137)
私は大学の一般教養課程で、当時教養部の社会学の教授であった河西宏祐先生に、とてもお世話になっていました。一般教養課程というと、出席だけして単位がもらえるといったような、怠惰と言いますか、情弱な課程だと思われてしまうかもしれませんが、河西先生はとても熱い先生で、厳しい授業をされることで、学生たちから一目置かれているような先生でした。その河西先生との出会について、これから述べていくことになるのですが、それについては2日後くらい後になると思います。その前段階である上の日本文については、以下のように英訳しました。
Afterword
Why do we care for our elderly parents? At first glance, the act of caring for elderly parents is an altruistic act that costs a huge amount of money, time, and effort. If we solely concentrate on this phenomenon and behavior, it is not surprising even if it had been excluded from the population. Nevertheless, the majority of individuals today do not forsake their elderly parents. Instead, they actively provide care (including by utilizing nursing care services available under the long-term care insurance system). What is the evolutionary genetic mechanism that maintains the behavior of caring for elderly parents in the population despite its high cost? What kinds of forces are acting on the behavior of care for elderly parents and leading to its maintenance within the population? I would like to clarify the ultimate mechanism that underlies the maintenance of this behavior within the population and have been conducting research.
大学に入学して、一般教養課程でさまざまな教科について学ぶことができたのですが、高校を中退して予備校にも行かずに一人で勉強してきた自分にとって、大学での講義はとても新鮮でした。受験勉強の、あの切羽詰まったような苦しさの中で学ぶのではなく、自分の興味に従って授業を選択し勉強していくことが、とてもアカデミックで自由な雰囲気を感じさせてくれていたと思います。もちろん自然科学関連の勉強もしましたが、それ以外にも、河西先生の社会学や哲学、法学、歴史学などの、いわゆる文系の教科についても勉強させていただき、今から思えば、私の人生にとって、とても役立っていると思います。一見回り道と言いますか、余分なことのように思いますが、今から振り返ってみると、無駄だったことなんて何もなかったのだなあと思います。 三代