翻訳作業 後期第40日目
昨日から「おわりに」に進みましたが、本日は、昨日と同じ段落の続きです。これまで私が行ってきた研究の目的について、ザックリとまとめています。これから、私と大学の一般教養部での社会学との接点について説明していくのですが、その前に私は以下のように記述しています。
これまでにおいて考察してきましたように、年老いた親の介護という行動が、実際に人間の自然本性に根ざした行動形質であるとするならば、この研究から得られる知見は、高齢者の介護、さらに言ってしまえば,人間にとって幸福な老後、一生とは何かに対する何がしかの示唆を与えてくれるのではないかと思います。よって、年老いた親の介護という行動の進化遺伝学的メカニズムの探求を目的としてはおりますが、それと同時に,将来到来することが予期されている、“超高齢社会における高齢者介護”という深刻な社会的問題を切り離して考えることはできないのだろうと思います。(本文 p. 137)
実際に高齢者介護施設で介護職として働いてきましたが、確かに、高齢者介護の問題は、近い将来に深刻な暗い影を落としていることは事実だろうと思います。正直にいって、このままでいいのかという疑問は、絶えず心に浮かんでいます。しかしながら、グループホームで働いていた時に感じていたように、認知症になっても幸福に生きることは決して不可能なことではなく、実際に実現できるという希望は、これまでの経験の中でも見出すことはできたと思います。ただ、困難なことも多いとは思いますが、今後それらを乗り越えるためにはどうしていけばいいのかということについて研究していかなければならないのだろうと思います。上述の日本文に対して、以下のように英訳しました。
As discussed so far, if the behavior of caring for elderly parents is a fundamental trait rooted in human nature, the insights gained from this research may provide hints about elderly care and furthermore insights on what constitutes a happy old age and a fulfilling life for humans. Therefore, while my primary goal is to investigate the evolutionary genetic mechanism underlying the behavior of caring for elderly parents, I believe it is equally important not to overlook the pressing social issue of "elderly care in a super-aging society," which is anticipated in the future.
殺虫剤抵抗性の研究を行っていたときもそうだったのですが、自分が興味を持ってきたことを実証的に研究し、得られた知見や洞察を実際に活用して、人類の福利に活かすことができればと考えてきました。殺虫剤抵抗性の研究については、残念ながらその活用先を見出すことができず志半ばとなってしまい、ある意味では残念だったのですが、しかしこれらの研究のエッセンスは、高齢者介護の進化遺伝学的な研究の中で、しっかりと息づいており、さらにP. B. Medawarという偉大な研究者の、高齢化社会の到来を前にして「何かをしなければならない」という言葉に触発され、これまでのような研究を行ってきました。実際に認知症になった祖母の介護を経験し、また特に認知症高齢者のグループホームで実際に介護職員として勤務していく中で、高齢者の介護、さらには高齢者の幸福、認知症患者にとっての幸福とは何か、どうしたら私たちは幸福な人生を歩むことができるのかといった、人間として誰しも抱くであろう根源的な問いに、私なりの視点を持って取り組んでみたいという気持ちが心から湧いています。実際に両親の介護を実践していく中で、お互いにウィン・ウィンの関係をどのようにしていけば築くことができるのか、さらには、国家に対しても負担をかけることなく、どのようにしてウィン・ウィン・ウィンの関係を築くことができるのか、これから考えていきたいと思います。 三代