翻訳作業 後期第44日目
本日は、新たな段落に進みます。一般教養課程で河西先生にお世話になっていましたが、一般教養課程が行われていた西千葉から松戸にある園芸学部での専門課程が始まると、西千葉の校舎を訪れることはほとんどなくなってしまいました。とてもかわいがっていただいておきながら、レポートの出来が不本意だったので、正直合わせる顔がなかったためだったのですが、私は以下のように記述しています。
まだ20歳やそこらの頃の自分には、ここに示されていた河西教授の熱意を理解することができず、むしろ鬱陶しいとさえ思っていたのではないかと思います。一般教養課程は主に、西千葉に位置していた校舎で行われていたのですが、専門課程で千葉県松戸市にある校舎にいくことが多くなると、西千葉の教養部に顔を出すことはほとんどなくなってしまいました。とてもかわいがっていただいたにもかかわらず、自分のレポートも不甲斐ない出来で情けなかったこともあり、河西先生のことを自ら避けてしまっていました。家族介護や高齢者介護という社会的な問題に対して、どのようなアプローチをとっていけばいいか、河西先生からいろいろとアドバイスをいただこうと正直楽しみにしていたのですが、すでに亡くなられていたことをインターネットで知りました。とても残念に思います。(本文 p. 139)
正直、合わせる顔もなかったのですが、高齢者介護という社会学的な側面を進化遺伝学的に研究するにあたり、社会学的な問題をどのように研究していけばいいか、どなたかに話を伺うとすれば、私には河西先生以外に思い浮かぶ先生はいません。インターネットでお亡くなりになられたことを知った時、本当に貴重な機会を逃してしまったと思いました。”痛恨”というのはこういうことを言うのだろうと思います。しかしその一方で、私が訪ねていったとしても、簡単にはアドバイスをしてはくれなかっただろうとも思います。昨日の河西先生のお言葉にもあるように、自分自身でもがき苦しみながら答えを見つけていくしか道はないわけですから、とにかく自分で体験してみなさいとおっしゃられたのではないかと思います。というこで、以下のような英訳にしました。
When I was around 20 years old, I could not understand Professor Kawanishi's enthusiasm as shown here, and I think I even found it annoying. The general education course was primarily conducted in school buildings located in Nishi-Chiba. However, as the major course commenced and necessitated our presence in school buildings in Matsudo, Chiba Prefecture, attendance for the general education course at the Nishi-Chiba location nearly vanished. Despite Professor Kawanishi taking great care of me, I found myself avoiding him, partly because my report was not good enough and I felt sorry about it toward him. To be honest, I was looking forward to receiving various pieces of advice from Professor Kawanishi on how to approach social issues related to family and elderly care. However, I discovered on the internet that he had already passed away. I deeply regret this loss.
昔、河西先生とお話しさせていただいていたときに、河西先生が教えられていた学生がソーシャル・ワーカー(社会福祉士)になったことをとても嬉しそうにお話しされていたことを覚えています。あのとき、なぜそのような話を私にされたのか、不思議に感じていました。その後、何十年も経ってしまいましたが、私も実際に介護福祉士となり、介護の現場で介護職として働いてきました。実際に役立てるまでには至らなかったものの、精神保健福祉士(Psychiatric Social Worker)やケアマネの資格も取得してきました。そのことに対して、河西先生はなんとおっしゃられただろうかと想像します。多分、喜んでくれたのではないかと思いますが、どうだったでしょうか。 三代