翻訳作業 後期第45日目
本日は、昨日と同じ段落の続きです。自分自身の体を通して、高齢者介護という現実を介護職として体験することによって、高齢者介護を進化遺伝学的な観点から考察していくことに、実感を持って取り組むことができるようになったのではないかと思います。私は本文の中で以下のように述べています。
高校を中退し、大学入学資格検定を経て大学に入学してきた私は、恐らく生意気盛りだったのではないかと思います。あれから30年経った今やっと,高齢者介護の進化遺伝学的なメカニズムを探るために、祖母の介護,高齢者施設での介護職としての経験、そしてこれから到来するだろう両親の介護を、まさに目・耳・体を通して実証的に研究する機会としてとらえることができるようになったのではないかと思います。すでに亡くなられており、直接報告することができずとても残念ではありますが,恐らく河西先生は喜んでくれているのではないかと思います。もし直接報告することができたら、「あの三代君が介護? 本当かい?」と笑いながらおっしゃたのではないかと思いますが、どうだったでしょうか。(本文 p. 139)
社会学の講義で、労働運動の当事者をお招きして講義をしていただいた後の懇親会で、あまり記憶もないのですが、酔った勢いで、河西先生に対して失礼なことを口走ってしまったような記憶があります。今も基本的にそうなのかもしれないのですが、先生や先輩方に、ときに見境なく議論をふっかけてしまうようなところがあり、酒が入るとその傾向は特に顕著になりました。次の日に、前の晩の出来事について先生にお詫びを言いに伺うと、「そんなつまらないこと、気にしない」と笑ってくれていましたが、でも、正直怒っていることがわかりました。最近は、お正月のお屠蘇以外にお酒を飲むことはまったくありませんが、大学生の頃は、酔ってよく議論をしたものだったと思います。そんな失礼だらけの私でしたが、河西先生は私のそのような性格を、大目に見てくれていました。20歳の頃、意気込みばかりが空回りして、どこにエネルギーをぶつけていいのか分からず、いつもイライラしていたと思います。そうかといって何をしたらいいのか分からず、正直自分を持て余していました。ということで、上の日本語の文章は、以下のように英訳しました。
I believe I was probably in the cheeky prime of my life when I dropped out of high school but entered university after passing the University Entrance Qualification Examination. Now, with 30 years having passed since then, I consider my experiences—including caring for my grandmother, working as a care worker at nursing care facilities, and anticipating the soon-to-arrive care for my parents—as an opportunity to explore the evolutionary genetic mechanisms of elderly care. I can finally come to see these experiences as a chance to conduct empirical research with a positivist spirit, observing through my own eyes, ears, and body. Although it is regrettable that he has already passed away, and I cannot report directly to him, I believe that Professor Kawanishi would be happy. If I had been able to report directly, I think he would have laughed and said, "The Miyo-kun is caregiving? Is that true?" I wonder what would have happened if I indeed did so.
私が介護職として高齢者介護施設で働いていると言ったら、河西先生は本当に、「あの三代君が介護?本当かい?」と笑っておっしゃられただろうと思います。実力も伴わずに、生意気なだけのクソガキだった20歳のあの頃の自分と比べて、少しは成長した自分をお見せすることができたかどうか、来世でぜひ伺ってみたいところです。でも、あの頃を思い出せば出すほど、基本的には、あの頃とほとんど変わっていないなあと反省するばかりです。 三代