吉田松陰を想う 2
大学で研究室を持って、自分が思い描いてきたような研究をすることを目指して、勉強や研究しかそれまでしてこなかった自分が、いわば行くあてもなく彷徨っていたこの時期に、吉田松陰が書いた本を読んで、いろいろと想うことがありました。特に、吉田松陰が死罪となり、死の直前に獄中で書いた『留魂録』は、特に私の心を揺さぶりましたし、また、萩の野山獄で、牢屋の中で吉田松陰が勉強会を開いた時に講じた『講孟箚記』を読んで、先の見えなかった私にも、目の前が開けるような、そんな灯明を照らしてくれたと思います。
勉強になったことはいくつもあったと思いますが、何よりも、生死を度外視して、なすべきことをなす、やらなければならないことをする、成功するとかしないとかは、天に任せれば良いことであって、何もしないうちから失敗を気にして悩むものではない、ということを教えてくれたと思います。自分が納得できれば、他の人の評価は、ある意味どうでもいいというか、それは自分が判断することではなく、何よりも気にかけなければならないことは、自分自身が納得することができたかどうか、ということだったと思います。これまでの人生を振り返ったときに、自分自身の人生に対して、納得ができたと言いますか、これまでやりたいようにやらせてもらえた人生であったと思いましたし、そのことにまず感謝しなければならないと思いました。それからは、生に対する執着ですとか、成功に対する執着のようなものに囚われなくなったと思います。別に死にたいわけでは決してないのですが、そうかと言って生きることに対しても、それほどこだわりがないと言いますか、今やらなければならないことをやって、できれば、次世代に対して、少しでも貢献できればいいなあと思いながら生きることができるようになりました。
このように私が影響を受けた吉田松陰の『留魂録』が、山口県の萩にある松陰神社の宝物殿である至誠館に展示されていました。やはり、実物を見てみると、また今までとは違った印象がありました。死を前にして、吉田松陰がどのような気持ちでこの書を書いていたのか、とても胸に迫るものがありました。写真で撮影することは禁止されていたので、とても残念だったのですが、実際にこの目で見ることができて、とても良かったと思います。(続く)