吉田松陰を想う 3
今回、生まれて初めて、吉田松陰が生まれ育った萩の地を訪れたのですが、松陰神社や明倫学舎をはじめ、観光地としてとてもよく整備されているという印象を受けました。萩の街を歩いていても、ものすごく綺麗と言いますか、塵ひとつない、なんとなく他所行きのような、そんな感じが正直しました。そういったことで、松陰神社を巡っていた時にも、吉田松陰という人物について、日本の偉人ということで、少し私たちとは離れてしまった、神格化されてしまった遠い存在であるように感じてしまいました。でも、実際のところ、吉田松陰という人物は、どういう人物だったのでしょうか?
今回、萩往還マラニックをはじめ、萩の松陰神社などの吉田松陰にゆかりのある地を巡る中で、結構いろいろなことがあり、吉田松陰という人物がどういう人物であったのか、私なりに感じることがありました。吉田松陰を信奉されている方々からお叱りを頂戴することを覚悟の上で、私が受けた印象を正直に申し上げますと、吉田松陰という人物は、師(先生)としては、まず生徒のことを突き放して、生徒が諦めてしまえばそれでおしまいになってしまうようなところまで、生徒のことを追い込むような人ではなかったのかなあと思いました。追い込まれているのだけれども、でもゴールでいつも先生が待ってくれているような安心感があるものだから頑張れると言いますか、生徒も一生懸命になって頑張っているうちに、気がついたらゴールしていたというような、厳しいけれども安心感に包まれているような、そんな先生だったのではなかったのかなあと思いました。実際に萩の地を歩いて、私がそう感じたことだったのですが、吉田松陰と高杉晋作の墓がある丘から萩という美しい街を一望した時に、なんだかそんな感じを受けました。厳しいけれども、懐の深さというか、あったかい温もりのある先生だったのではないかと思いました。
やっぱり、実際に訪れて歩いてみることで、今まで抱いていたものとは違う感慨を得ることができました。長州・萩を訪れて、松陰神社をお参りすることは、私のいわば悲願だったわけですが、生きているうちにそれを達成することができて、とても良かったと思います。いつの日か、実際に松下村塾で、吉田松陰から直接指導していただけることを楽しみにしながら、これからも頑張っていきたいと思います。